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新選組の京都を歩く [東京以外散策]

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四条通りから北へ木屋町通りに入り、高瀬川沿いに歩いています。
四条通り寄りから古高俊太郎寓居跡、本間誠一郎暗殺現場、土佐藩邸跡、坂本竜馬が海援隊を置いた酢屋、三条通りに出ると池田屋と続きます。
幕末の京都を濃縮したような一角となっています。

「わしは月代が人目につくのを恐れて頭巾を冠り、高瀬川の流れに沿うた木屋町の通りを歩んでおった。時刻は五つごろ、夜更けというには早いが、あの時分の京はともかく物騒であったから、日が昏れればいつも夜更けのようであったな。川端の枯柳が、乾いた媼の髪のごとくに騒いでおったさまが瞼に残る。」
竜馬暗殺は見廻組の犯行とされていますが、浅田次郎の「一刀斎夢録」では新選組の斉藤一を実行犯として描いています。
この先、土佐藩邸から左に入り河原町通りの向かい側に竜馬暗殺の現場近江屋があります。
慶応3年(1867年)11月15日のことです。
今、斉藤一の気分で木屋町通りを歩いています。

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名古屋城本丸御殿 [東京以外散策]

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炎天の中、名古屋城まで来ています。
平成21年から本丸御殿を復元工事中で、その一部が完成し、今年の5月から公開されています。
御殿見学です。

東門から二の丸を経て、本丸に向かいました。

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長良川鉄道の旅 [東京以外散策]

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名古屋から中央本線で多治見へ、
多治見からJR太多線で美濃太田まで、
美濃太田から長良川鉄道で郡上八幡まで列車を乗り継いでの旅です。

多治見駅のホームに停まる岐阜行の列車に乗ります。
太多線で美濃太田へ向かいます。
太多線って知っていますか。
営業距離わずか17.8km、中央本線と高山本線を結ぶ鉄道です。

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なんとなく、名古屋 [東京以外散策]

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名古屋へ来て、味噌煮込みを食っています。
思い出したように、突然食べたくなるのです。
角丸(かどまる)の味噌煮込みです。

向かい側のお兄さんは、荒れた勢いで味噌煮込み(大)をかき込んでいました。
原因は広げたスポーツ紙にあるようです。
昨日のドラゴンズは3対0で負けています。

野球に興味がない私は、いたって平和です。

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小林多喜二の小樽(小樽の街・裏編) [東京以外散策]

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2009年12月12日、新聞の夕刊に田口タキの死亡記事が掲載されていました。
タキは、プロレタリア作家小林多喜二の恋人でした。
16歳の時、多喜二と知り合い一時は同居生活を送りますが、その後家出してしまいます。
多喜二は1933年2月20日、特高警察の拷問を受け死亡します。
タキは別の男性と結婚し、2009年6月19日、102歳で亡くなりました。
終焉の地は横浜市中区でした。


この年の3月末まで横浜に住んで、勤務先は中区にありました。
意外な人物が近くに住んでいたことを知り驚いた記憶があります。
多喜二とタキの足跡をたどって小樽の街を歩きたいと思います。

多喜二は秋田県の出身です。
4歳の時、小樽で成功していた叔父を頼って家族とともに小樽に移住して来ました。
叔父の援助で小樽高等商業学校(現小樽商科大学)を卒業すると、北海道拓殖銀行小樽支店に勤務します。
当時、北のウオール街と呼ばれた日銀通りの一角に拓殖銀行の小樽支店はありました。
小樽支店の建物は1923年(大正12年)の建築です。
多喜二は1924年6月の入行ですから、新築早々のこの建物で働いていました。
ホールは2階まで吹き抜け、6本の古典的円柱がカウンターに沿って並ぶ堂々たる建築です。
現在はホテルとして使われています。

ここを起点に「小樽の街・裏編」の散策を始めます。

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小樽で食べたもの/食べなかったもの(小樽の街) [東京以外散策]

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小樽の都通で見かけた店です。
「小樽一おいしい!西川のぱんじゅう」って書いてあります。
「ぱんじゅう」ってなんでしょうか。

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粉雪まいちる小樽の駅に(小樽の街・表編) [東京以外散策]

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小樽駅に着きました。
駅前に伸びる通りは下り坂で、その先に日本海が広がります。
「粉雪まいちる小樽の町に・・」は昭和40年代に流行った「小樽のひとよ」の歌詞です。
私の場合は「小雨ぱらつく小樽の町よ」でした。

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堀川、納屋橋あたり 名古屋にて [東京以外散策]

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納屋橋は、広小路通りと堀川が交差する地点に架かる橋です。
9月2日の記事で紹介しました五条橋の下流になります。
橋の名前の由来は、橋の南東に尾張藩の米蔵がならんでいたからとも、橋の西に魚屋(なや)、納屋が多くあったからとも言われています。

橋の近くの「納屋橋饅頭」は私の大好物です。
おいしい酒饅頭です。
すぐに硬くなってしまうの難点ですが。

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たんたんたぬきの・・・湯河原で [東京以外散策]

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週の後半は湯河原にいました。
といっても会社の研修所に収容されていたので、別に温泉に浸かったわけでもなく、籠の鳥状態です。
研修所の窓から眺めた湯河原の街並みです。
立地は山の上、かつ夜間外出禁止が規則ですので、何の楽しみもありません。

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四間道(しけみち) 名古屋にて [東京以外散策]

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名古屋城の城下町はお城の南側に碁盤割りと称される商家の立ち並ぶ一角と、東側の武家屋敷街とで形成され、外周を寺町が取り囲みます。
江戸初期、家康の命で水害の多い清洲から名古屋台地上へお城が移りました。
その名古屋台地の西端に沿うように、台地下を堀川が流れています。

写真の五条橋は、堀川に架かる「清洲越し」の橋です。

清洲越し:清洲から名古屋への移転はお城はもちろんのこと、神社、仏閣、町人に至るまで丸ごと引越しをしました。名古屋では清洲越しの家といえば伝統と格式を示すことになります。
五条橋も清洲城下に流れる五条川に架かる橋でした。

 

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