甲府にて2(ワイナリー) [只今出張中]
甲府出張が続いています。
甲府での休日、ワイナリーを訪れました。
日本酒の蔵元は過去、何度も訪れましたが、ワイナリーは初めてです。
甲府駅北口を出て徒歩5分くらいの場所に「サドヤ」というワイナリーがあります。
「サドヤ」の正面の門を抜けたところの情景です。
「おぅ、日本酒の蔵元とはずいぶん違う風景ではないですか。」
料金300円でワインセラーを見学させてくれます。
「是非とも」と申込みしました。
敷地1,000坪のうち700坪あまりに地下貯蔵庫が造られているそうです。
写真は、その地下のワインセラーの入り口です。
見学時間が来るまで敷地内をうろうろします。
古風な葡萄の絞り機をみつけ、しげしげ眺め時間を潰しました。
ワイン造りは葡萄の実を絞るところから始まります。
今は搾汁機(注)という機械で絞るのだそうですが、昔はこのような器具を使っていたのでしょう。
かつて、乙女が足で踏んで搾汁をしている映像を見たことがあります。
いまはそんな光景はないのでしょうね。
(注)搾汁の工程があるのは白ワインです。
赤ワインは茎を取り除いた粒をいきなり発酵タンクで発酵させます。
一方、白ワインは絞った果汁をタンクで発酵させることになります。
葡萄の木も見ました。
中央線も笹子峠を越え、山梨県に入ると勝沼辺りには葡萄棚が広がっています。
棚づくりは生食用のぶどう造りに発達した形態だそうです。
フランスのワインづくりを目的とした葡萄畑はこのような垣根づくり(注)と呼ばれる形で栽培されるそうです。
(注)「ワインづくりの四季」(麻井宇介著・東京書籍)。
著者はメルシャンに勤務した人ですが、良質のワインづくりのためには垣根づくりの栽培が必要と力説しています。
さて、ワインセラーの中です。
山梨県のワイン作りは、明治初年まで遡ります。
文明開化に狂った役人達の主導でワイン造りの歴史が始まったのです。
ここ、サドヤの地下貯蔵庫は大正6年に作られたものだそうです。
サドヤがワインづくりに参入した当初の貯蔵庫が今も使用されていました。
ワイン愛好家として名高い山本博の「日本のワイン」(早川書房)ではサドヤについて以下のように紹介されています。
『山梨における本格的ワイン造りの老舗が「サドヤ醸造」である。日本のほかのところが、わけのわからないブドー酒なるものを造っていた時代から先代の今井友之助は、国際的評価に耐えられる本格的ワイン造りに苦闘してきた。昭和25年に売り出した「シャトーブリアン」は、大手に負けない小メーカー産上級ワインの嚆矢だった。』
ワインセラーに貯蔵された1962年のワインです。
今から52年前のワインが、温度管理されたセラーに眠っています。
ちなみに、地上のワインショップでは62年の「シャトーブリアン」は1本31,500円で売られていました。
こちらは1977年です。
1977年物のシャトーブリアンは1本、16,800円です。
ムムム、手が出そうもありません。
この壁面に並んだ壜の総額で〇〇〇〇万円(注)くらいと聞いて、酔ってもいないのに頭がクラクラします。
(注)金額を聞いたのですが、あまりにも単位が大きすぎて頭に残っていません。
ここタイル張りの部屋は、昔の醸造タンクなのだそうです。
現在はおそらくホーローびきの醸造タンクが使用されているのでしょう。
今は、かつて使われたワイン造りの道具類の展示スペースとなっていました。
昭和19年7月の甲府空襲でこの醸造場も爆撃を受けました。
貯蔵庫のワイン500石が流れ出して壊滅的な被害を受けたそうです。
第二次世界大戦中は、ワインから抽出する酒石酸が潜水艦の電波探知機の部品などに使用されていました。
アメリカ軍からワイナリーが軍需工場と見做されていたのでしょうか。
昭和19年という早い時期の空襲を受けています。
青空の広がる地上に戻って、一息ついています。
ワイングラスを傾けながら、ゆったりとした時間を過ごしました。
- 作者: 山本 博
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2003/02
- メディア: 単行本
- 作者: 麻井 宇介
- 出版社/メーカー: 東京書籍
- 発売日: 1992/03
- メディア: 単行本
先日はお疲れさまでした。
山梨の同じ話10回以上聞きました(笑)
私は日本酒が苦手なのでワインの方が絶対いい!
by nimonimo (2014-03-22 21:41)
酔っ払うと壊れたテープレコーダーになってしまいます。
by kuma (2014-03-23 10:15)