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浅草で食べる [東京散策]

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青空につられて、浅草まで出掛けました。

地下鉄から出ると神谷バーと松屋の建物が目の前に現れます。
いずれも時代を感じさせる建物です。

神谷バーの建物は大正10年(1921年)の完成です。
浅草で最古の鉄筋コンクリートの建造物、国の登録有形文化財に指定されています。

松屋は昭和6年(1931年)建造、神谷バーより10年後の完成です。
3階は東武鉄道の駅となっており、列車が建物に乗り入れる、当時としてはユニークな造りとなっています。

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浅草寺の境内は風もなく、春先らしい陽気となっていました。
参拝の後、江戸伝統工芸館を覗いてみます。

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工芸館で見たもの。

「火盗」と書かれた御用提灯が展示されています。
鬼平こと、長谷川平蔵ですか?

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そして、長火鉢とくれば、銭形平次を思い出します。
長火鉢を挟み子分の八五郎を前にして、
「見るまでもあるまいよ。ところで話はそれっきりか。」
平次のセリフが聞こえそうです。

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ところで、雷門脇の常盤堂は雷おこしで有名な店です。
店頭でおこし製造の実演をやっていて、出来立てのおこしを食べられるのをご存知ですか。
そういえば、おこしの出来立てというのを食べたことがありません。

今日の散歩の目的は「出来立てホカホカのおこしを食べる」です。

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出来たてを1カップ100円で売ってくれます。

おこしは干菓子の一種です。
『その歴史は古く「倭名類聚抄」に記載が見られる。今日のものとはだいぶ趣きを異にするようだが、すでに平安時には、こうしたたぐいの食べ物が存在していたようである。その後江戸時代になると大坂であわおこしが、江戸では雷おこしが売り出されている』(改訂調理用語事典から引用)

おこしは、江戸時代、雷門近くで露天商が商っていました。
露天商がひろげる店舗を「見世」と呼びます。
仮設の店舗のことです。
浅草寺の仲見世の語源でもあります。

鶴屋南北「東海道四谷怪談」の浅草観世音境内の場には楊枝見世が出てきます。
お岩の妹お袖が働くさまが演じられます。
楊枝見世や、水茶屋は美人の売り子を揃え客を引いたそうです。
当時の露店商売の姿を見ることができるのです。

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お昼は「葵丸進」で天ぷらを食べました。
写真は天ぷら定食です。
天ぷらの下の皿からは、なんと三つ葉葵の紋が覗いているではありませんか。
恐れ多いことです。

浅草 016.jpg

天丼です。
空腹には思わぬ美味しさで、つい食べ過ぎてしまいました。
後で胸焼けに苦しむことになろうとは思いもせず。

徳川家康は元和2年、75歳で亡くなっていますが、その死因は天ぷらの食べ過ぎという俗説があります。
茶屋四郎次郎清次が献上した鯛の天ぷらを食べ過ぎたためという内容です。
「年を取ったら、天ぷらと食べ過ぎてはいけない」と反省しつつ、この話を思い出しました。

葵丸進の店名とは関係のない話とは思いますが。

 

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