米子から安来へ [只今出張中]
今週は山陰、米子への出張でした。
羽田から米子空港へ飛びます。
弓ヶ浜半島の米子空港へ向けて、飛行機は美保湾の上空で高度を下げて行きます。
右手に島根半島の美保関、左手に大山を見ることができるはずですが、生憎の荒天でよく見えません。
写真は弓ヶ浜沿いを走るバスからの美保湾の眺めです。
司馬遼太郎の「砂鉄のみち」(街道をゆく)は米子空港からスタートしています。
『米子空港には、午後1時すぎについた。
私のメモには、空港食堂ニテ出雲ソバヲシタタム、美味ナラズ、とある。私は出雲ソバはすきなのだが、専門店でもない空港食堂などはソバの調理にむかないのかもしれない。
米子から西へ、安来へむかった。』
羽田から米子空港へ飛びます。
弓ヶ浜半島の米子空港へ向けて、飛行機は美保湾の上空で高度を下げて行きます。
右手に島根半島の美保関、左手に大山を見ることができるはずですが、生憎の荒天でよく見えません。
写真は弓ヶ浜沿いを走るバスからの美保湾の眺めです。
司馬遼太郎の「砂鉄のみち」(街道をゆく)は米子空港からスタートしています。
『米子空港には、午後1時すぎについた。
私のメモには、空港食堂ニテ出雲ソバヲシタタム、美味ナラズ、とある。私は出雲ソバはすきなのだが、専門店でもない空港食堂などはソバの調理にむかないのかもしれない。
米子から西へ、安来へむかった。』
司馬の助言にしたがって、空港のソバはパスします。
まずバスで米子へ向かいます。
米子から山陰線に乗って一駅目が安来です。
今回の仕事先は米子なのですが、興味の先は安来なのです。
とは、いっても安来節に興味があるわけではありません。
たしかに安来には「安来節演芸館」なる施設もあるのですが、行きたいのは「和鋼博物館」のほうです。
司馬遼太郎の向かった先でもあります。
日本刀の材料となる「たまはがね」は、砂鉄からつくられます。
明治以後の近代的な製錬が始まる以前に行われていた「たたら製鉄」に関する資料が和鋼博物館に展示されています。
駅から中海沿いの道をたどり和鋼博物館へ向かいます。
写真右手の山は十神山です。
安来節の古い歌詞に「安来千軒 名の出たところ 社日桜に十神山」とうたわれています。
安来は江戸時代、出雲砂鉄でつくられた鋼塊の積出港として賑わいました。
中海から向かってくる風は冷たくて、他に人影もなく、さびしい道中でした。
歩くこと10数分で到着しました。
和鋼博物館の建物です。
日立金属の工場に隣接しています。
日立金属安来工場でつくられるYSS(ヤスキハガネ)は硬さとねばりのある鋼材として知られています。
いまなお砂鉄から製錬をしているそうです。
博物館の建物前に展示されている鉧(ケラ)です。
これが何であるかは字体が示しています。
鉄の母と書きます。
司馬の「砂鉄のみち」では鉧について次のように説明しています。
『山中のタタラの作業場で、砂鉄を低温で熔かして出来たカタマリをいうが、私はこの露天展示のおかげで、はじめて鉧というものを見た』
私も初めてみました。
司馬はさらに言います。
『大量の砂鉄が低温で熔けてそれが冷えた状態が鉧だから、表面がでこぼこであばたもあり、決してきれいな形相でないだけでなく、色も-絵具のチューブから黒と茶と赤をひねり出してざっと練り合わせたような-要するにこの世でもっとも汚い色彩のものといえるかもしれない。』
そして、それを私は見に来たのです。
安来から米子へ引き返したころにはすっかり日が落ちていました。
白いものが舞う夜道を歩いて、カバという店で同行者と一杯やります。
刺身の盛り合わせ、ハーフサイズを注文したのにその量の多さにビックリしました。
日本海の魚は身が締まって美味しかったです。
そういえばお世話になった日立金属の久保田邦親博士が島根大学の客員教授になられたらしいですね。
by 合金設計ファン (2016-12-23 21:55)
最近、科学メーカのダイセルに移籍したらしいですね。
by 播磨謙一 (2018-11-20 21:02)
SLD-MAGICの開発者?なにゆえプラスチック化学メーカーのダイセル
へ?
by プラントメンテナンス技術者 (2021-03-28 18:23)