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新選組の京都を歩く [東京以外散策]

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四条通りから北へ木屋町通りに入り、高瀬川沿いに歩いています。
四条通り寄りから古高俊太郎寓居跡、本間誠一郎暗殺現場、土佐藩邸跡、坂本竜馬が海援隊を置いた酢屋、三条通りに出ると池田屋と続きます。
幕末の京都を濃縮したような一角となっています。

「わしは月代が人目につくのを恐れて頭巾を冠り、高瀬川の流れに沿うた木屋町の通りを歩んでおった。時刻は五つごろ、夜更けというには早いが、あの時分の京はともかく物騒であったから、日が昏れればいつも夜更けのようであったな。川端の枯柳が、乾いた媼の髪のごとくに騒いでおったさまが瞼に残る。」
竜馬暗殺は見廻組の犯行とされていますが、浅田次郎の「一刀斎夢録」では新選組の斉藤一を実行犯として描いています。
この先、土佐藩邸から左に入り河原町通りの向かい側に竜馬暗殺の現場近江屋があります。
慶応3年(1867年)11月15日のことです。
今、斉藤一の気分で木屋町通りを歩いています。
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四条大宮を過ぎ、坊城通りを南に下がると八木邸がありました。
清河八郎の献策で結成された浪士隊は、上洛後、この八木邸と新徳寺に分宿します。
文久3年(1863年)2月のことです。
清河と袂を分かち、会津藩御預かりとなった「新選組」最初の屯所となった八木邸です。
新選組はこの八木邸と道を隔てた前川邸を屯所としています。
屯所前の条坊通りを南に1kmほどの所に島原の遊郭があります。

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15分ほどで島原の大門に行き着きました。
屯所から迷わず行き着けるグッドロケーションです。
新選組隊士遊興のホームグランドとなったのも頷けました。

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揚屋の角屋です。
もちろん今は揚屋としては営業されてはいません。
文久3年(1863年)9月18日、会津候からの御手当金で新選組一同がここで大宴会を開いています。
芹澤鴨暗殺事件の夜です。
泥酔した芹澤一行は駕籠で屯所まで帰ったのは深夜。
・・たかだか1km位、しかも道は一本、歩いて帰れよと言いたくなりますが、御手当金で資金は潤沢であったのでしょう。

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置屋の輪違屋です。
角屋で飲んで屯所に帰った芹澤一行の中に輪違屋糸里がいました。
八木邸の座敷に、奥から芹澤、芹澤の妾お梅、平山五郎、桔梗屋吉栄、平間重助、輪違屋糸里と寝ているところを庭から土方、沖田らが襲います。
浅田次郎の小説「輪違屋糸里」はこの糸里を中心として新選組に関わる人々を描いています。

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さて、いよいよ池田屋事件です。
池田屋は三条通りにあります。
東海道を江戸から上ってきますと、三条大橋を渡り、三条通りとなります。
鴨川に架かる三条大橋を渡り、高瀬川の三条小橋を越えると右手に池田屋がありました。
芹澤一派を粛清し、近藤、土方が実権を握った新選組の名を高めた事件の現場です。
今は居酒屋となっています。
はなの舞という居酒屋チェーン店ですが、ちゃっかり「池田屋」という看板が掛かっていました。
事件は元治元年(1864年)7月8日のことです。
翌日の正午、新選組は壬生の屯所に帰還しました。
沿道は見物人で溢れたといいますから、討ち入り後に泉岳寺へ向かう赤穂浪士一行のような感じだったのでしょうか。

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西本願寺の太鼓楼です。
池田屋事件で名を挙げた新選組は禁門の変の鎮圧に参加します。
京における治安維持部隊としての性格を鮮明にしてゆきます。
元治元年(1864年)9月、近藤は江戸で隊士募集を行いました。
当初20数名で発足した新選組は200名を超える組織となりました。
壬生の屯所も手狭になり、西本願寺の北集会所と太鼓楼に屯所を移します。
元治2年(1865年)3月10日のことです。
西本願寺は島原から東へ10数分の距離にあります。
意外に近い距離にありました。
依然として隊士たちは遊びに行っていたのでしょうね。

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新選組の三番目の屯所跡です。
慶応3年(1867年)6月15日、西本願寺から不動堂村へ屯所を移しています。
境内で大砲の射撃訓練をするは、隊士の栄養を補う目的で豚は飼うは、鶏を絞めるは、やりたい放題の新選組に困った西本願寺が不動堂の敷地を求め、屯所の建物を建てて移って貰ったという話です。
一町(110m)四方の堂々たる建物であったそうです。
今のリーガロイヤルホテルあたりと言われています。
ホテル敷地の解説板には西本願寺との交渉には吉村貫一郎が当たったとの記載がありました。
吉村は盛岡藩脱藩の隊士で江戸での隊士徴募に応じて来た人物です。
浅田次郎の「壬生義士伝」の主人公です。

大名屋敷並みの屯所であったといわれますが、数か月後の慶応3年12月にはこの屯所を引き払うことになりました。
竜馬暗殺の一月後のことです。
鳥羽伏見での敗走を経て、京都での新選組の足跡は消えてしまいます。

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