七福神(川越) [東京以外散策]
11月の始めの休日、川越を散策しました。
喜多院の境内は、秋の柔らかな日差しに満たされていました。
浅草寺境内の騒々しさとは何と違うことでしょう。
大江戸と小江戸の違いでしょうか。
その小江戸川越で七福神めぐりが流行っているそうです。
ここ喜多院は第三番大黒天です。
ここ喜多院は第三番大黒天です。
第七番弁財天は妙昌寺です。
第三番大黒天から第七番の弁財天までは歩いて回りました。
第三番大黒天から第七番の弁財天までは歩いて回りました。
一番毘沙門天、二番寿老人はちょっと距離があるんで、あります。
ここはタクシーで回りました。
タクシーで乗り付け門前で待機してもらい、
お参りしていたら
「タクシーで七福神めぐりですか」とお寺の人に聞かれてしまいました。
タクシーで巡ったら、ご利益に差がつくのでしょうか。
眼を皿にしてガイドマップを眺めても説明はありません。
全部タクシーではなくて、1番、2番なのだけですが、この場合どうなんでしょうか。
話しがそれましたが、
第三番喜多院は天海僧正が住職であったお寺です。
南光坊天海、家康のブレーンとして力を奮い、その力は徳川三代家光の代に及んだというあの僧です。
天海=明智光秀説があるそうですが、結構そそられる話です。
本堂に続く渡り廊下の先に客殿があります。
寛永15年川越大火で焼けた喜多院の復興に、幕府は江戸城紅葉山の別殿を移築しました。
その客殿が今に残ります。
家光生誕の間、家光の乳母春日局化粧の間がある建物です。
春日局は明智光秀の家臣斉藤利三の娘です、というか利三は光秀の甥といいます。
このへんのところ天海=光秀説を前提に考えると、
このへんのところ天海=光秀説を前提に考えると、
紅葉山御殿をわざわざ川越に移築したのも頷けられる気がする訳です。
本能寺の変、光秀・家康共謀説など下敷きにすると、家康の天海との関係もなるほどと思われたりするのです。
そんなわけで今回、喜多院の客殿を興味深く見学してきました。
ところで七福神というのは、二礼二拍手でお参りするのでしょうか、
それとも柏手は打ってはいけないのでしょうか。
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