新宿盛り場地図 [東京散策]
休日の朝、昭和10年頃の新宿の描いた「新宿盛り場地図」を眺めていました。
今でもおなじみの店が出てきます。
伊勢丹はほてい屋というデパートと並んでいます。
紀伊國屋書店、中村屋、高野フルーツパーラーも、今と同じ場所にありました。
そんな有名店でなくとも今も残っている店は無いのだろうか?
散歩のテーマが出来ました。
昭和10年の新宿を訪ねます。
ビックロ裏の天ぷら屋さんは、「船橋」です。
盛り場地図では三越の裏に描かれています。
三越は無くなりましたが、なお健在なのは何よりです。
但し昭和10年の地図には「ソバヤ」と表記されています。
お店のHPを見ると、最初は芋屋だったそうです。
それなりの紆余曲折があったのでしょう。
普段はほとんどノーマークの店でしたが、こうやって見るとにわかに存在感が増します。
そしてここ、この食堂です。
右手には甲州街道が走っています。
盛り場地図には「信濃屋食堂」として載っていました。
場所は現在地と同じです。
信濃屋変じて長野屋となったのは戦後のことでしょうか。
大正の創業だそうです。
店内は大正ロマン風ではなく、昭和レトロ風でした。
休日の午後、店内は結構混んでいました。
テレビの真下の席に落ち着き、注文したのはカツカレー(600円)とビール(大ビン630円)です。
頭の上から降り落ちるNHKのど自慢の歌声、まさに昭和を満喫しながらの食事でした。
味はそこそこ美味かったです。
やはりカレーは小麦粉が入った昭和の味でした。
食事で腹を満たした後は、ここです。
新宿三丁目の要通り、末広亭のある通りから一本東の通りです。
盛り場地図では「大門通り」と表記があります。
そうです遊郭の跡です。
それらしき店は残っていないか?
通りの手前から左手には鈴喜楼、続いて第一不二川、右手は石橋楼、その奥には第二港楼と並んでいたはずです。
私の記憶では。(地図を見た)
もちろん跡形もありませんでした。
街並みから遊郭の面影を辿ることは出来ませんでしたが、
これはこれで、良い雰囲気でした。
気が付いたこと。
盛り場地図では遊郭の建物裏には、それと接する建物の間に、境界とも路地とも判断がつかない微妙な空間が描かれていますが、ドンカクで有名な酒場「どん底」はその路地に面しているらしいことです。
「どん底」は、遊郭跡の切れ端に立地しているようです。
新発見、まずはめでたしで、帰途に就きます。
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