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すり鉢の底探検(四谷荒木町) [東京散策]

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『津の守でお遊びになる方は、四谷の表通りを富士銀行と「うの丸」との間の狭い路地、通称「うの丸横丁」をお入りになって、右に下るとすり鉢のそこのようなところに、所狭く待合さんが、並んでいるのでございます。』(舟橋聖一「女めくら双紙」)
四谷荒木町は、すりばちのような地形にあります。
かつては花街であったことを小説の描写から知りました。
そのすり鉢の底を目指して散歩を試みます。
四谷の表通りからの入口には人力車の街灯があり、街の来歴を思わせられ散歩の期待が高まります。 
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いきなり、すり鉢の底です。
すり鉢の底には池がありました。
「策(むち)の池」といいます。
徳川家康が鷹狩の途次、ムチを洗った所からついた名といわれます。
江戸時代、美濃高須藩の藩邸でした。
このあたりを「津の守」というのも松平摂津守の官名に由来するのだそうです。
そして維新後は、藩邸内にあった池を含む庭園周辺に料亭が立ち並ぶことになったのです。
余談ながら、
幕末期の会津藩主松平容保は、天保六年この藩邸こ生まれ、12歳の時、この家から会津藩に養子に出ました。
後の新撰組局長近藤勇は天保五年生まれというから、ほぼ同世代なのですね。
近藤が養子に入った試衛館も同じ新宿区内、近くと言えば近くにあります。
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すり鉢の底、策の池へは急な坂道な続き、なろほどすり鉢と感じられます。
「降りたら登ってくるのが大変」と思いつつ、坂道をおりました。
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『そこからだらだらと石段を下りますと、「翁」「まつり」「桔梗」。また坂を下らずにまっすぐに入いると「時本」「ほていや」。見番の手前をすぐ右に折れる坂の下り口に「万歳」。・・・」(「女めくら双紙」)
舟橋の描くような花街ではなくなりましたが、当時を偲ばせるような構えの店もわずかながら残っています。
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石畳が敷かれた路地にも、風情は残っています。
暑さの所為か、此の上を走る人力車の音を一瞬聞いたような気がしました。 
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今はこんな感じの街です。
これはこれで、夜、一度来てみたいなと思わせられました。
 
女めくら双紙 (1959年) (新潮文庫)

女めくら双紙 (1959年) (新潮文庫)

  • 作者: 舟橋 聖一
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1959
  • メディア: 文庫
 

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