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堀川物語(名古屋) [東京以外散策]

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夏休みのある日、名古屋城に早朝散歩に出掛けました。
正門は閉じられており、2時間余り後の9時の開門とのことです。
本丸を一回りしようと思っていたのが、あてが外れました。
門前でぼうぜんとたたずむ私です。
セミの鳴き声の響く木陰で、かき氷屋の屋台を眺めながら思案しました。
よし、堀川散策に変更しよう。 
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名古屋城の西の堀から南に流れる堀川は人工の河川です。
慶長15年(1610年)、名古屋城の築城にあたり、福島正則の手により開削されました。
もちろん福島正則の自発的行為ではなく、家康の命によってです。
名古屋城の築城は秀吉縁故の西国20大名のお手伝い普請でした。
福島正則は、この直前の丹波篠山城の築城にも動員されています。
結構、こき使われているのです。
正則などは、不平たらたらだったようで、これにまつわるエピソードなども残されています。 
正則怨念の堀川は、伊勢湾から名古屋城までの築城資材の搬入路として利用されました。
その後は、商品流通絽として利用され、名古屋城下の発展にも役だっていました。
上は景雲橋から五條橋への眺めです。
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五條橋です。
清須を流れる五條川から移築した橋です。
名古屋城築城以前の徳川家の尾張における拠点、清須からは城下の商人も名古屋に移転してきました。
これを「清須越し」といいますが、橋もコミだったのですね。
 
この橋のたもとには、かつて銭湯があり、『戦時中(第二次大戦中のことです)、名城公園の練兵場の兵隊さん達が銭湯に入る日には、橋の欄干にそって行列をつくり、その反対側に息子を一目みたさに集まったお母さんたちが、そっと立ち並んだこともあったそうです。』と橋脇の案内板に書かれていました。
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堀川の西側は美濃路です。
商家と白壁の土蔵が立ち並ぶ一角が残っています。
このあたりの様子が、名古屋名所絵図「中橋裏浅間社」に描かれています。
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その浅間神社そばの土蔵の壁に見つけました。
この鳥居マーク自体、最近目にする機会はほとんどありませんね。
意味はわかりますか?
京都の大原女にかかわる由来があるマークなのですが・・・。
気になる人は「鳥居マーク 大原女」でググッって下さい、私にはこれ以上はかわいそうで書けません。 
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浅間神社から中橋を渡り、堀川沿いに南下、桜橋まで来ました。
橋上の街灯も風情がありますが、橋の名に因み、あちらこちらに桜のレリーフがあり、これもまた眺め甲斐があります。
急ぎ足で通り過ぎる通勤者たちの目には入っていないようですが、お休み中の私はじっくりと観察しました。
背後に冷ややかな視線を感じながら。
 
桜といえば、昔、堀川沿いは桜の名所でもあったようです。
坪内逍遥が「私の寺子屋時代」に書いています。
『河は堀河の名にし負う人工のものがたった一流れあるばかり。けれども名古屋としては、それが其所を貫いて流れる最大の水であったので、そのやや河下の両岸に植え付けられて年を経た桜の老木は中々見事で、堀河の花見といふ江戸の向島のそれ扱い、私が十一二から十四五頃までは、折々父母と共に屋形船なぞに乗って、見に行ったのを思い出す。』
逍遥十一二のころというので、明治初年頃の風景ですね。
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桜橋から伝馬橋まで来ました。
名古屋城の表門から南下する本町通りは熱田へつながる道すじですが、伝馬町筋と交叉するところが札の辻、すなわち街の中心でした。
伝馬町筋が堀川を渡ると、そこは美濃路です。
今、左岸を歩いていますが、こんな店が続いています。
町名表示を見ると「錦一丁目」とあり、納得しました。
伝馬町筋を東へ向かへば名古屋夜の繁華街「錦三」に到ります。
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錦橋から納屋橋を望む景色です。
堀川沿いに遊歩道が続き、遊歩道に向いて飲み屋なぞが口を空けています、散策者を呑みこむように・・・。
吸い込まれない様に慎重に通り抜けました。
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納屋橋から上流を望みます。
高度成長期は、ドブ臭い流れとなっていましたが、最近は流れも清くなり、川筋に遊歩道なども出来、このような光景となっています。
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納屋橋もなかなか風情ある雰囲気の橋です。
欄干には福島正則の家紋が飾られていますが、注意していないと見過ごしてしまいます。
大汗かいて堀川を開削した正則ですが、晩年には広島城無断修築を行ったとして武家諸法度違反の罪で改易になっています。
この納屋橋の欄干に家紋を残しただけでした。
 

 
 

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