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花を求めて [東京散策]

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3月のある一日、まだ早いかなと思いつつ出かけました。
近所の妙法寺境内の桜が咲いていました。 
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休日の午後、別に桜の名所というわけでもないお寺の境内は人影も疎らです。
境内をしばらく散策してみました。 
 
桜散歩 019.jpg
妙法寺は、やくよけ祖師で知られる日蓮像が祖師堂に祀られていることで知られています。
お寺のリーフレットで、やくよけ祖師の由来を読みながら境内をぶらついています。
元和4年(1618年)の創建となっていますので、大阪の陣が終わって間もなくの頃、時代は江戸時代の初期です。
リーフレットには以下のような記載があります。
『当時は目黒碑文谷の法華寺の末寺となりましたが、元禄12年(1699年)3月に身延山の直末となりました。
この時法華寺から霊験あらかたな「やくよけ祖師」の霊像をお迎えして以来、当山には日々多くのお参りが有り、・・・法運隆昌をきわめて・・』
おめでたい話が書いてありますが、このくだりにひっかかります。
「法華寺の末寺から身延山の末に」とは、法華寺からすれば分派行動でしょう。
分派行動者の妙法寺が、なんで、霊験あらかたな祖師像を法華寺から持って来てしまうの?
ひっかかる文章でしょう。
なにか事件の気配がします。 
桜散歩 023.jpg 
そのありがたい祖師像が祀られる祖師堂は境内で一番立派な建物です。
本堂は、祖師堂の裏にこじんまりとした姿で建っていました。
 
帰宅後、祖師像大移動のいきさつを探ってみました。
 
さて、碑文谷の法華寺ですが、寛永年間には3万7千坪の敷地に18の坊舎を擁し、末寺は75あったと言います。
妙法寺はその75の末寺の一つであったわけです。
元禄11年、広大な寺域を持ち繁昌した法華寺は途絶します。
不受不施派を忌避した幕府による断絶でした。 
以後、天台宗に改宗し、円融時として現在に至っています。
 
法華寺断絶にいたるスキャンダルめいた経緯に、法華寺の「蓮華往生」があります。
即身成仏を願う信者の希望を満たしてあげるというアトラクションであったようです。
成仏=寺内での殺人?
蓮華往生の詳細は種村季弘の『江戸東京《奇想》徘徊記』に「碑文谷の蓮華往生」として紹介されています。
もっとも種村は蓮華往生に関しては幕府によるフレームアップだったかもしれないとしています。
 
花を愛でるつもりが、とんだ脱線でした。
梶井基次郎ならずとも、 
桜の老木は、想念を飛躍させる力があるようです。
 
あじさいの時期に妙法寺を訪れた記事はこちら⇒ほりのうち道 
 
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