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かくいふは魔性の人か神の言葉か(西池袋界隈) [東京散策]

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出張、旅行の前には、山川出版の歴史散歩シリーズを開いてみることが習慣となっています。
先日の福岡出張の前にも「福岡県の歴史散歩」をパラパラと眺めていたら、飯塚市の項に旧伊藤伝右衛門邸が紹介されていました。
白蓮事件の柳原白蓮が一時期を過ごした処です。
 
「同棲十年の良人を捨てゝ白蓮女史情人の許に走る」
白蓮の駆け落ちを報じる大正10年10月22日付け東京朝日新聞の見出しです。 
白蓮の夫への絶縁状が掲載され、夫伝右衛門の反論が毎日新聞に載り、当時の世間を賑わせました。
記事の見出しの情人とは東大生の宮崎龍介です。
白蓮が龍介を知るようになったころの短歌を今回のタイトルとしました。
『君故に 死も恐るまじ かくいふは魔性の人か神の言葉か』

龍介の居る東京に来た白蓮は、やがて龍介の実家に住まい、そこで生涯を過ごしました。
その住まいが西池袋にありました。
大正天皇の従兄妹にあたる高貴の人、気に染まない結婚であるが飯塚で豪邸に住んだ女性が、その後半生を過ごした住環境を覗きたくて、西池袋界隈を散策してみます。

写真は白蓮の住まい近くの目白庭園に咲く寒緋桜です。
花言葉は「あでやかな美人」「高貴」なのだそうです。 
西池袋 016.jpg
池袋駅西口を出て南に下ったあたりが西池袋となります。
女性思想家の羽仁もと子とその夫により、大正10年に創立された自由学園もこの地にありました。
学園の機能は東久留米市に移転しましたが、明日館が残されています。
ライトのスケッチにより作られた草原風の建物は、豊島郡高田町と呼ばれた当時の風景によくマッチしたのではと思います。
いまは池袋のビル群が建物の背景となっています。

先程の目白庭園は児童雑誌「赤い鳥」の創刊の地です。
「赤い鳥」を舞台に北原白秋などが活躍しています。
 
白蓮が新生活をスタートさせたのは、大正デモクラシーの風が香るような土地であったようです。
今は落ち着いた雰囲気の住宅地となっていました。
西池袋 019.jpg
そのような住宅地の一角に宮崎家の建物がありました。
飯塚市に残る伊藤伝右衛門の豪邸に比すべきもありませんが、いまどきの住宅を思えばゆったりとした敷地です。
板塀も、中にたつ建物も、その意匠は華美に走らず、好感が持てる佇まいでした。
白蓮は昭和42年に夫龍介に看取られ世を去っていますが、その晩年に建てられたという建物です。

今も宮崎家の人が住む処であるようです。
そっと、前の道を通り抜けました。
ちらっと見た表札の脇の白蓮が始めた短歌結社「ことたま会」と書かれた木札が印象に残りました。
西池袋 052.jpg
散策の足を伸ばし立教大学の第一食堂でお昼にしました。
370円のかつ丼(味噌汁付き)は普通の学食並の味でしたが、
蔦の絡まる煉瓦造りの食堂で食べる雰囲気も値段のうちと考えれば、ハイコストパフォーマンスの昼食でした。

おじさんが紛れ込んで身を小さくして食事をしていました。
しかし、気がつけば、スマホでバチバチ写真を撮っている人も多いではありませんか。
3~4割ぐらいはビジターではないかと思いました。
こうなると観光名所ですね。
 

あの女性がいた東京の街―24のタイムトンネルの向こう側

あの女性がいた東京の街―24のタイムトンネルの向こう側

  • 作者: 川口 明子
  • 出版社/メーカー: 芙蓉書房出版
  • 発売日: 1997/05
  • メディア: 単行本

この本を読んで散歩に出掛けました。
うかつにも宮崎龍介が宮崎滔天の息子とは知りませんでした。 

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