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烏森駅界隈 [東京散策]

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現在の新橋駅の東口にはD51の動輪と鉄道唱歌の碑があります。
「汽笛一声新橋を はやわが汽車は離れたり 愛宕の山に入り残る 月を旅路の友として」
で始まる鉄道唱歌は明治33年(1900年)の作です。
歌われた新橋は、汐留シティセンタービルの前に再現された「旧新橋停車場」であることは御存知だと思います。
大正3年(1914)12月20日東京駅が開業すると同時に、旧駅は貨物専用駅として汐留駅と改称され、現在地が新・新橋駅となりました。
それまで、ここは烏森駅と呼ばれまていました。
新橋駅周辺は新橋2丁目にあたりますが、当時の地図では烏森町との名が見られます。
その経緯からすれば、鉄道唱歌の碑の存在はどうなんでしょうか。


新橋・パウリスタ 012.jpg

烏森の地名の元、烏森神社です。

烏森駅改め新橋駅の開業式は、いま100周年記念で賑わう東京駅の開業式と同日に行われました。
東京駅の開業式典を大きく報じる新聞記事の片隅に新橋駅の開業式の様子も載っています。

「手古舞姿の新橋芸者衆が木遣音頭も勇ましく練り込むなか」式典が始まり、
「式閉じて食堂に移ると祝開業を染め抜いた赤前垂れの新橋芸者の接待・・・構内外の況を極めたる。」

花街を抱える土地柄を反映した式典だったようです。
私だったら、大臣その他が参列するだろう東京駅式典ではなくて、こちらの方に駆けつけます。
あなたはどうします。

新橋・パウリスタ 013.jpg

烏森神社周辺の路地は飲み屋が蝟集する一帯となっています。
陽も高い今は閑散としていますが、夜の賑わいが想像できます。
来る時間帯を間違えたようですね。

ところで、かつては900人からの芸者衆が闊歩したと言う新橋花街はどこ?
荷風が「新橋夜話」(シンキョウヤワ)に書いた花街、
瀬戸内寂聴の「女徳」のモデルとなった照葉が歩いたであろう町はどこ、
とウロウロしています。

新橋・パウリスタ 021.jpg

ウロウロで、お腹がすいたのでお昼にしています。
印度カレーを食べています。
東口地下街ウイング新橋にある「カレーメーカー カリカル」は昭和33年創業のお店です。
50年以上続く店だけあって、カウンターは満席、繁盛していました。
十分な辛さは私好み、旨味もあり、鶏肉は柔らかく、美味いカレーです。

花街の面影を求めて、散歩を続けます。


女徳 (新潮文庫 (せ-2-2))

女徳 (新潮文庫 (せ-2-2))

  • 作者: 瀬戸内 寂聴
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1968/05/30

  • メディア: 文庫
 
 
 
 
 
昨日、久しぶりに読み返してみました。
当時流行った美人絵葉書といえば芸者がモデルでした。
照葉もそんなスターの一人でした。
彼女が大阪の宗右衛門町から新橋に妓籍を移したのが大正元年。
東京駅、新橋駅の開業が大正3年。
照葉は開業式典には出たのでしょうか。 
30代で仏門に入り、京都祇王寺の庵主として平成6年に98歳で亡くなっています。
その前半生は波乱に満ちたものでした。
 


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