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紀尾井坂から赤坂へ [東京散策]

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新宿から中央線を四谷駅に向かうと、駅の手前でトンネルを抜けます。
煉瓦造りの歴史を感じさせるトンネルです。
信濃町から四谷の間、旧赤坂離宮(現迎賓館)の下を通っているので、旧御所トンネルと名付けられています。
中央線最古のトンネルです。
当時、中央線は甲武鉄道と呼ばれた私鉄でした。
私鉄の線路が、畏れ多くも皇室所有地の下を通れたのも軍用目的があったと言われています。
現に、かつて千駄ヶ谷駅と信濃町駅の間には青山軍用停車場が存在していました。
線路の南には、青山練兵場(今の神宮外苑)が広がり周辺には第一師団司令部、第一連隊兵営、第三連隊兵営がありました。
八王子から武蔵野台地を一直線に走ってきた中央線が新宿を過ぎると大きくS字を描くように走っているのも、千駄ヶ谷付近を経由する必要があったためなのです。

四ツ谷駅を起点に、紀尾井坂から清水谷、赤坂あたりを散歩します。

清水谷 011.jpg

四ツ谷駅から迎賓館へ向かいます。
現在の建物は、大正天皇の東宮御所として建てられたものです。
江戸時代、紀州藩下屋敷があった場所です。
明治6年から明治21年まで仮御所が置かれていました。

清水谷 020.jpg

迎賓館の脇、紀国坂を下ると時代を感じさせる門がありました。
この門に至る喰違いでは明治7年、仮御所を退出した岩倉具美が不平士族に襲われる事件が起きています。
外堀に飛び込んで難を逃れたと聞いていますが、喰違いを歩いて外堀を覗いてみたら、水面までは20メートルを超える高低差がありました。
岩倉は、命がけで崖を滑り落ちたのでしょう。

清水谷 046.jpg

喰違いから紀尾井坂を下ると、清水谷です。
明治11年、大久保利通がここで暗殺されています。
仮御所への出勤途上でした。
大久保の碑がある清水谷公園で一休みしています。
碑のそばには南方植物のデイゴの樹が植わっていました。
大久保を偲んだ人が植えたのでしょうか。 
道路を隔てたニューオオタニは井伊家の屋敷跡になります。

清水谷 059.jpg
 
清水谷公園から、弁慶橋を渡り、青山通りへ出ます。
豊川稲荷に向っています。

清水谷 074.jpg

豊川稲荷は、大岡越前守の屋敷神として祭られていたものです。
大岡の知行地が豊川であった縁なのだそうです。
風が良く吹き抜け、涼しい境内でした。

境内に大岡忠相の廟もあり、前に「目安箱」が置かれ、「心願の趣、書付持参の方この箱に入可申候」と書かれていました。
相手が大岡忠相だけに、いかにも聞き届けて貰えそうです。
 
清水谷 079.jpg

赤坂へ足を延ばしました。
今は、繁華街となっていますが、かつては寂しい土地であったそうです。

国木田独歩の小品「夜の赤坂」に次のような一節があります。
「赤坂はさみしい処で、下町、即ち京橋や日本橋に住んで居る者は、狐や狸が居る処と心得て居る位。」
司馬遼太郎も「赤坂散歩」の中で、明治35年の東京各区の地価表を掲げて「明治の赤坂はさびしいところで、地価も安かった。」と書いています。
とはいえ、花柳街もあって、国木田も「殊に赤坂芸者と言って、東京市中、数カ所の芸者の居処の一つとなって居るから、よるになると、紅灯緑酒の有様が・・・・・あの二階でも此の二階でも三弦、太鼓の花々しい響か、それとも爪弾とやら、乙に気取った楽の音が洩れるのです。」などと書いています。

やはり狐狸が住む町なのでしょうか。


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