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寄席はねて上野の鐘の夜長哉・・・上野、浅草あたり [東京散策]

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地下鉄銀座線稲荷町駅を出て、近くの下谷神社です。
寄席発祥の地と言われています。
寛政10年(1798年)、櫛職人の京屋又三郎は「風流浮世おとし噺」の看板を掲げ、境内で興業を打ったのが寄席の始まりといいます。
三笑亭可楽こと京屋又三郎は、初代のプロ落語家になります。

境内に「寄席発祥之地」と、正岡子規の「寄席はねて上野の鐘の夜長哉」の碑がありました。

落語は「江戸」の時代と地が作り出した文化かもしれません。

司馬遼太郎の「本所深川散歩」も、土地の風と人を描くのに「落語」を引いて話を進めています。
古典落語「文七元結」、「大山詣り」、「永代橋」、「富久」を絡めながら、江戸の風を浮き彫りにします。
落語が江戸に根付いた文化であることが分かります。

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銀座線の隣駅、田原町駅近くの本法寺には「はなし塚」があります。
時は移って昭和16年10月、太平洋戦争開戦が近づくなか、落語界にも時局に合わない演題の自粛を求められました。
花柳界、酒、妾、廓話などが禁演落語となります。
「明烏」などの禁演落語53題を「はなし塚」に葬ることになったのです。

幸い昭和21年には「禁演落語復活祭」が行われ、塚に納められていた禁演落語の台本が再び陽の目を見る事になったのです。
戦争は人命や財産が失われるだけではなくて、文化にも被害が及ぶことを示す象徴ですね。

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本法寺の壁に、落語家達の名を見ることができます。


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田原町駅の次は浅草駅になります。

浅草の常打ち寄席、浅草演芸ホールです。
現在は少なくなってしまいましたが、明治時代には東京市、近郊で140軒を超える寄席があったそうです。

寄席の数が減るとともに、人情も薄く、がさつな世の中になってきています。


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人が肩よせ合って生きていた時代は既に過去のものとなり、現代の都市は乾ききって、人の生きる環境から、遠くなりつつあることを感じます。

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隅田川、通称大川として、落語でおなじみの川です。
誰かが身投げしそうとなり、引き留める人物が出て来て、人情噺が展開します。

「文七元結」も大川の吾妻橋が舞台です。

「今吾妻橋を渡りに掛かると、空は一面に曇って雪模様、風は少し北風(ならい)が強く、ドブンドブンと橋間へ打ち付ける浪の音、真っ暗でございます。」

「唐茄子屋政談」(古今亭志ん朝)、「小猿七之助」(立川談志)、「星野屋」(桂文楽)など、みな大川に架かる吾妻橋が出てきます。

ところで落語の舞台となっている地名を辿っていると、下町と呼ばれる土地の輪郭が分かってくることがおかしく感じられます。


古典落語 (講談社学術文庫)

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  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2002/12/10
  • メディア: 文庫


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