池上本門寺 [東京散策]
房総半島は、砂浜が続く九十九里のイメージは強いですが、勝浦から鴨川に続く海岸線は「おせんころがし」(*1)と呼ばれる断崖が続きます。
千葉勤務時代、その海岸線を車で走っている時、誕生寺の存在を知りました。
日蓮生誕の地(*2)に建つお寺です。
今日は池上の本門寺に来ています。
日蓮、終焉の地です。
境内の五重塔は慶長13年(1608年)建立の重要文化財です。
(*1)おせんころがし:この地方の豪族の娘「おせん」の話です。村人をくるしめる強欲非道の父親をいさめようとするが、かなわず、断崖から身を投げたという言い伝えがこの断崖の通称なっています。
(*2)誕生寺:1276年(堅持2年)、日蓮の生誕地に建てられた寺です。元禄16年の地震により、生誕地は海底に沈みましたが、その後、現座地に移転し続いています。
日蓮像です。
精力的な風貌の像ですね。
鎌倉での辻説法は、時に政府の批判を含んで、弾圧を受けることになります。
しかし、貴族政治から武家政治への過渡期、時代の流れを読んで、京でなく、あえて鎌倉で布教活動を行った日蓮の経営感覚に驚嘆します。
現在の大伽藍に、その経営感覚が伝わっているような気がします。
室町時代、京の商家衆に信仰者が多かったのも、その宗祖的気風によるものなのかもしれません。
総門から続く、此経難持坂(シキョウナンジザカ)の石段は加藤清正の寄進によるものだそうです。
96段もありました。
ここに幕末維新の東征軍先遣隊が本営を置いたのも頷ける戦術的要地にあるといえるでしょう。
江戸時代、将軍家からの保護を受けたということも、ある意味で理解できます。
帰途、門前で「くずもち」と茶飯を頂きました。
池田屋というお店でした。
茶飯も美味しかったです。
他に相模屋、浅野屋があり、御三家というそうです。
いずれも江戸時代創業という歴史があります。
川崎大師の「くずもち」も有名ですが、どちらが古いのでしょうか。
「くずもち」自体は、奈良時代から食べられていたようです。
当時は主食の補いであったといいます。(「調理用語辞典」全国調理師養成施設協会編から引用)
それを門前の茶店で食べるようになったのは、庶民の物見遊山が一般化した江戸時代からでしょう。
川崎大師門前の「くずもち」と、どちらが先とはわかりませんが、距離の近さから相互の影響はあった筈です。
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