無縁坂の御屋敷 [東京散策]
不忍の池畔に江戸時代の水茶屋の風情を再現した茶店があると聞いて、行ってみました。
蓮見茶屋というそうです。
残念なことに営業していませんでした。
緋毛氈の縁台に腰かけ、池の風景を眺め、ビールなぞを、と風流することを想像していたのですが。
気を取り直して、旧岩崎邸庭園に行く先を変更しました。
不忍の池から東大の龍岡門へ向かう道があります。
無縁坂といいます。
森鴎外の小説「雁」は、不忍の池と無縁坂が舞台となっています。
医学生の岡田に心を寄せる高利貸しの妾お玉の住まいは無縁坂にあるとの設定となっています。
「その頃から無縁坂の南側は岩崎の邸であったが、まだ今のやうな巍々たる土塀で囲ってはなかった。きたない石垣が築いてあって、苔蒸した石と石との間から、羊歯や杉菜が覗いていた。」
鴎外の小説によって、岩崎邸の位置と当時の佇まいが知れます。
お玉の境涯では道を隔てた屋敷の中を覗いてみる機会もなかっただろうと想像します。
400円を支払い、その屋敷へ入ってみました。
ジョサイア・コンドルの設計になる洋館です。
明治29年の建築となっていますので、鴎外が小説を発表したころには既に存在していた建物です。
コンドルは岩崎邸の他、鹿鳴館、ニコライ堂、三菱一号館などの設計を行っています。
鹿鳴館は現存せず、現在の丸の内の三菱一号館はレプリカです。
ニコライ堂とならんでコンドルの作品に触れることが出来る場所です。
江戸切絵図を見ると岩崎邸の位置は、越後高田藩、榊原式部大輔の屋敷となっています。
庭園の一部には、大名屋敷の庭園の面影をみることができます。
幕末期、人斬り半次郎を呼ばれた桐野利秋は明治維新後陸軍少将となっています。
敷地内にあった大銀杏です。
幹回りから樹齢は数百年を越えるでしょう。
榊原時代からのこの屋敷地の主の移り変わりを見ていたに違いありません。
そして「雁」のお玉の家からも望めたに違いありません。
無縁坂の由来は道筋のお寺、講安寺の山号に由来するということです。
講安寺はかつて無縁山法界寺といいました。
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