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染井の里 [東京散策]

飛鳥山・染井 099.jpg
JR山手線の駒込駅と巣鴨駅の北側一帯を染井といいます。
染井吉野の由来となった地名です。
その染井を散策します。
駒込駅で下車し、染井通りを歩いていると写真のような碑がありました。
そう、このあたりは江戸期から大園芸センターでした。
幕末に江戸を訪れたフォーチューンはその著「江戸と北京」で次のように記録しています。
「交互に樹々や庭、恰好よく刈り込んだ生垣が続いている公園のような景色に来たとき、随行の役人が染井村にやっと着いた、と知らせた。そこの村全体が多くの苗樹園で網羅され、それらを連絡する一直線の道が一マイル以上も続いている。」
そして、その規模の大きさは世界のどこへ行っても見たことがないと言っています。

飛鳥山・染井 100.jpg

いまは普通の住宅地となってしまっています。
当時の景観を想像することもできません。
染井の植木屋丹羽家の門と蔵が公園として残されています。
これで植木屋の盛大さを想像してみるしかありません。

飛鳥山・染井 109.jpg

さて、染井吉野ですが、幕末期にこの染井から広がった桜の品種です。
全国の桜の名所でお目にかかるのはこの品種の桜です。
接ぎ木によりたやすく繁殖させることができ、成長が早く、若木でも花が咲くことから重宝されたのがその理由です。
オオシマサクラとエドヒガンザクラの交配種です。

当時、染井の植木屋では花の名所吉野山にちなんで単に「吉野」と呼んでいたそうです。
吉野山に咲くのは山桜であるところから、それとの混同を避けるため「ソメイヨシノ」と命名されたのです。

飛鳥山・染井 111.jpg
今は一大園芸センターの面影もありません。
公園の一角で見かけた、桜の苗木で昔の姿を想像するしかありません。
接ぎ木された苗木が整然と並んでいました。

飛鳥山・染井 117.jpg
染井霊園を抜けた先に本妙寺というお寺があります。
芥川龍之介、谷崎潤一郎の墓があることで知られるお寺です。
その境内で偶然見つけたのが、写真の比翼塚です。
落語の「明烏」は大店の息子時次郎が人に連れられて初めて吉原に出かけ、遊女三芳野を知る場面の話です。
落語は堅物息子がすっかり吉原の虜になってしまったところで終わっています。
現実は二人が心中することで話が決着します。
世に三河島心中として知られる話です。
新内節の「明烏夢泡雪」はその物語を歌い上げています。
こんな所に二人の比翼塚があろうとは思ってもいませんでした。


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コメント 2

nimonimo

姉が駒込に住んでいるので、よく出かけますが・・・
駒込あたりが、昔は一大園芸センターだったとは知りませんでした!
by nimonimo (2013-04-06 16:19) 

kuma

そうです。私も知りませんでした。花見の季節を前に図書館で「東京の原風景」(川澄登著、筑摩書房刊)という本を借りてきて知りました。東京は変化が激しくて知らないことが多いですね。
by kuma (2013-04-14 19:20) 

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