箱根山、登った。 [東京散策]
箱根山から新宿方面を望む景色です。
木の間から高層ビル群が望めます。
戸山公園の箱根山は山手線内最高峰なのだそうです。
標高は44.6m。
その箱根山に登りました。
箱根山は人工の山です。
江戸時代、戸山山荘と呼ばれた尾張藩下屋敷に作られた庭園の築山です。
この庭園には小田原を模した宿場町がありました。
そこで築山が箱根山となるわけです。
庭園にあった宿場町の池もなくなりましたが、築山だけが残ってます。
庭園に作られた滝の遺構が名古屋にあります。
早稲田大学文学部の構内で発掘された滝の石組みを使って龍門の滝が再現されています。
以前にわたしのブログで紹介しました。
下記のブログを参照ください。
早稲田大学文学部の構内で発掘された滝の石組みを使って龍門の滝が再現されています。
以前にわたしのブログで紹介しました。
下記のブログを参照ください。
明治維新後は陸軍用地になりました。
箱根山のふもとに「箱根山、陸軍戸山学校址」と記された石碑があります。
こちらの遺構はかなり残っていそうです。
戸山教会の建物です。
白い壁、赤い屋根の教会の下部は厳めしい石造りとなっています。
陸軍戸山学校の将校集会所の跡です。
戸山学校は歩兵戦技の学校でした。
ここで射撃術、銃剣術、軍刀操法などの教育が行われました・
長さ300メートルのコンクリートトンネルが7棟並ぶ射撃場は江戸川乱歩の小説にも出てきます。
「東京の読者諸君は戸山が原にある、大人国のかまぼこをいくつもならべたような、コンクリートの大きな建物をごぞんじでしょう。」(怪人二十面相)
もちろん現在はありませんが。
軍刀操法は戸山流という居合術として残っています。
戸山公園の一角に残された軍楽隊の野外演奏場の跡です。
戸山学校では、各隊のラッパ手を集めラッパ操法を教授しました。
その中から軍楽隊の志望者を募ったそうです。
幕末期、横浜の外国人居留地に駐屯したイギリス軍が軍楽隊を伴っていました。
イギリス軍の兵制を導入した薩摩藩は慶応3年に軍楽隊の編成を行っています。
陸軍の軍楽隊は明治4年に創設されています。
ここ戸山学校が軍楽教育の総本山でした。
箱根山の周りには桜の木が植わっています。
春には桜の「雲海」に浮かぶ箱根山となるそうです。
さくらの時期の景色も見てみたいものです。
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