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新宿御苑 [東京散策]

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新宿御苑を散歩してきました。
師走ですが、師でもない私はいたって暇です。
それで御苑散歩です。
フランス庭園のプラタナスの並木はすっかり葉を落とし寒々とした姿を見せていました。
たしかに寒いです。


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江戸時代、新宿御苑は信州高遠藩内藤家の中屋敷でした。
玉川園と名付けられた内藤家の庭園が御苑の一角に残っています。

御苑は旧甲州街道に沿っています。
江戸初期、甲州街道の一番目の宿場は高井戸でしたが、日本橋から遠すぎるとの声で出来た宿場が新宿です。
内藤家の敷地の提供を受けて街道沿いの町屋ができたところから、内藤新宿と呼ばれたそうです。
江戸名所図会の説明文は次のようになっています。
「甲州街道の官駅なり。この地は旧内藤家の第宅(ていたく)の地なりしが、のち町屋となる、故に名とす。」

ところで内藤家と言えば絵島生島事件を思い出します。
内藤家の高遠城は江戸城大奥の女中絵島が幽閉されたお城です。
幽閉時の年齢は33歳、60歳までの生涯を信州高遠で過ごします。
高遠城は今、桜の名所として知られています。

今の季節、御苑は人影も少なく閑散としていました。

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寒さに耐えられず大温室へ避難しました。
ここには人がいました。

明治維新後、国に上納された内藤家の屋敷地は農作物試験場となります。
ここに併設された農事修学所では全国から生徒を集め、近代農業の研究が始まりました。
農事修学所が現在の東大農学部の前身となります。
宿場町のあまりの風紀の悪さに、やがて駒場に移転してしまいますが、生徒たちはさぞガッカリしたでしょう。

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「オオベニゴウカン」(マメ科)と説明プレートにありました。
いかにも熱帯の植物らしい姿をしています。

明治12年には宮内省管轄の植物御苑になります。
明治26年には加湿温室ができたそうです。
御苑の温室の歴史は古いですね。

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洋ランの一種でしょうか。

明治34年には庭園に改造されます。
先ほどのフランス式庭園はその時造成されたそうです。
日露戦争後にここで、凱旋将軍の歓迎会が行われました。

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現在は環境省の管理する庭園となっていることは御存じのとおりです。

温室で見かけた「ショウベンノキ」です。
目が釘付けになりました。
「ソーセージノキ」もありました。
「ムニンフトモモ」からは何を想像したらよいのでしょうか。

環境省職員が作成する管理記録文書に麗々しく書かれた「ショウベンノキ」の文字をつい想像してしましました。



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  • 出版社/メーカー: 新潮社
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