SSブログ

東京駅丸の内口駅舎を見に行く [東京散策]

IMG_1144_640.jpg

東京駅丸の内口駅舎の復元工事が終わり10月1日にグランドオープンとなると聞きました。
オープンに先立ち見物に行ってきました。

えっ、絵が違うって?
まあ、あわてないでください。
ものには順序というものがあるのです。
地下鉄国会議事堂前駅で下車し、皇居前広場を横切って、東京駅を目指し散歩をします。
・・・で、最初はこの写真です。

議事堂と言えば、60年安保闘争と1960年6月15日の樺美智子事件が思い浮かびます。
事件の現場は衆議院南通用門でした。
今、衆議院南通用門はどこかと探してもありません。
事件後国会を取り囲む塀の改修が行われ門は塀の一部となってしまいます。
現在の地下鉄国会議事堂前駅の出口付近にあったそうです。

IMG_1163_640.jpg

議事堂前庭にある憲政記念館を覗いてから内堀通りを歩き桜田門へ向かいました。
憲政記念館の辺りは井伊掃部頭の上屋敷跡です。
屋敷跡には維新後、参謀本部陸地測量部が置かれました。
この地の日本水準原点庫はその名残でしょうか。

さて桜田門と言えば、桜田門外の変となります。
安政7年3月3日早朝の事件です。
井伊屋敷から桜田門までは数百メートルの距離、歩いて10分もかかりません。
屋敷の門を出た登城の行列は内堀通りを進み桜田門外に至ります。
そこを大名行列見物人を装って待ち構えた水戸藩浪士たちが襲いました。

ここは、昭和7年1月8日の桜田門事件の現場でもあります。
韓人愛国団の李奉昌による天皇暗殺未遂事件です。
代々木練兵場で行われた陸軍観兵式からの帰途にある天皇の行列に向かい爆裂弾を投げましたが失敗に終わっています。

IMG_1174_640.jpg

桜田門を抜けると皇居前広場です。
江戸期、西御丸下と呼ばれ、老中、若年寄クラスの屋敷が立ち並ぶ一角でした。
いまはだだっ広い広場です。

ここも多くの事件の現場です。
太平洋戦争の敗戦時、この広場で多くの人が自決をしています。
昭和27年の血のメーデー事件ではデモ隊と警官隊の衝突で死者が出ています。
その2年前には人民広場事件が発生しています。
デモ隊と占領軍の衝突事件です。
それらの事件の記憶も忘れ去られ、のどかな広場となっていました。

二重橋の写真です。
誤解が多いようですので、ここに掲げます。
皇居二重橋として写真などで取り上げられる風景では、皇居正門へ繋がる石橋が写っていますが、
石橋の後ろに隠れているこの鉄の橋が二重橋なのです。

IMG_1196_640.jpg

皇居外苑の楠木正成像です。
躍動感溢れる銅像で、銅像の中ではお気に入りの部類に入ります。
特に松葉越しに眺めるこのアングルが好きです。
台座が隠れて、松林を抜け天空に駆けあがろうとしているようで躍動感が増します。

ところで人物を作った彫刻家と、馬を作った彫刻家が別人であることをご存知ですか。
人物は高村光雲、馬は後藤貞行です。

IMG_1204_640.jpg

やっと、東京駅丸の内口駅舎へ到着しました。
中央郵便局前から南口を望む景色です。
塔屋の膨らみのある屋根が従来と変わっています。

さて、南口のホールは原敬首相の暗殺現場でもあります。
事件は大正10年11月4日に発生、京都に向かおうとする原敬がここで刺殺されています。
ホール床面に現場の印がありますので興味のある方は探してみてください。

歩き疲れたのでここらで散歩はおしまいです。



nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。