「ぬき屋」の中野 [東京散策]
毎朝、自宅から青梅街道まで出て、新宿まで歩いています。
起点は蚕糸の森公園あたりから、終点は新宿西口あたりまでです。
このところ暑い日が続きますが、早朝は未だ気温が高くなく、歩行に支障なしです。
毎日歩いていると、いろいろなものが目に入ってきます。
起点は蚕糸の森公園あたりから、終点は新宿西口あたりまでです。
このところ暑い日が続きますが、早朝は未だ気温が高くなく、歩行に支障なしです。
毎日歩いていると、いろいろなものが目に入ってきます。
歩き始めてしばらくたった後、青梅街道沿いのビルの入り口にあるこのモニュメントに気づきました。
・・・・・・なんだか、わかりますか??
ところで、中野の地名の由来ですが、「中野jは武蔵野のほぼ真ん中にあるから中野というのだそうだ」(江戸東京徘徊記:種村季弘)なんだそうです。
その中野の中心地です。
その中野の中心地です。
ついうっかりJR中野駅周辺だと思っていますが、それは中央線開通後の話でしょう。
かつての中野の中心は青梅街道沿いにありました。
場所は中野坂上あたり。
いまの中野本町と呼ばれるあたりです。
内藤新宿を出て、神田川を超えると中野坂にさしかかります。
坂上にのぼり、街道沿いに広い境内を持つ寺は写真の「宝仙寺」です。
かつての中野の中心は青梅街道沿いにありました。
場所は中野坂上あたり。
いまの中野本町と呼ばれるあたりです。
内藤新宿を出て、神田川を超えると中野坂にさしかかります。
坂上にのぼり、街道沿いに広い境内を持つ寺は写真の「宝仙寺」です。
境内に入ると、石臼塚がありました。
石臼を積み上げています。
そうです、かつては中野は「ぬき屋」の住む町だったのだそうです。
石臼を積み上げています。
そうです、かつては中野は「ぬき屋」の住む町だったのだそうです。
神田川に架かる淀橋です。
中野区と新宿区の境をなしています。
神田川の水流を生かし、水車を回し、石臼で引いて、そばの皮をむき、身を「ぬいて」、蕎麦屋に供給するのが「ぬき屋」の仕事でした。
いまの神田川から水車の回る風景は想像できず、ましてはぬき屋なる商売も浮かびません。
その残骸が宝仙寺の石臼塚であり、さきほどのビルのモニュメントです。
ビル前に横倒しにした巨大な石臼と壁面の蕎麦の花が「粋」ではありませんか。
しかも、注釈看板もなくゴロと置いてあるのがすばらしいと思います。
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