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郡山、長野そして松本を歩く [只今出張中]

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先週は郡山、長野、松本に出張でした。
最終地、松本の朝は凍りつくような寒さでした。

松本城は石川数正とその息子により築かれました。
石川数正は徳川家の重臣でしたが、家族、家臣を連れて秀吉の元へ出奔します。
伯耆守を名乗っていたことから「徳川の家に伝わる古箒、今は木の下を掃く」と京阪人から揶揄されたと言います。
小田原の陣後、家康が関東移封となると数正は松本に封じられました。
関東の監視役と言うことでしょうか。
8万石の石高に見合わず立派な天守閣となっています。
築城にかなり無理をしたと思われます。
「建築の材料概ね之を民間に徴発し其の巨材、大石を採るに処を選ばず、社殿、寺院、民舎等の破壊せらるるもの多し」
との話も伝わっています。
数正の息子の代には、大久保長安失脚に連座して石川家は廃絶となっています。

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明智学校の犠洋風建築の校舎です。
明治5年の学制発布により開校した小学校です。
今は松本城の北に移築されていますが、かつて女鳥羽川畔の全久院跡地に建っていました。
全久院は最後の松本藩主戸田氏の菩提寺ですが、廃仏毀釈により廃寺となっています。
松本における廃仏毀釈は激しく、城下22の寺院のうち毀釈を免れた寺院はわずか二寺だそうです。
徳川親戚の戸田氏の新政府に対する遠慮が原因なのでしょうか。

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蔵造りが目立つ、中町通りの街並みです。
千国街道、野麦街道、伊那街道、北国西街道の交差する要衝の町らしい雰囲気です。

滞在中の2日間、お昼は蕎麦でした。
1日目「三城」、2日目「佐々木」で食べました。
蕎麦とはいいながら打ち方で、これだけ違うのと驚くほど表情が異なった蕎麦でした。
いずれも美味い蕎麦です。

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街角で見つけた「牛つなぎ石」です。
戦国のころ、武田信玄は今川、北条氏から塩の道を閉ざされます。
信玄とは敵対関係にありながら、上杉謙信は越後から塩を送りました。
「義の塩」の話です。
ここが塩を積んだ牛がたどり着いた所といいます。
これで、当時の松本は信玄の支配する地だったことが分かります。

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長野の善光寺、本堂です。
朝の勤行に合わせて、参道を登ってきました。

善光寺は無宗派のお寺です。
宗派が発生する以前から存在するお寺だからと言われています。
今は天台宗の大勧進と浄土宗の大本願の僧侶たちによって護持されています。
大勧進の住持を貫主、大本願の住持を上人と呼びます。
大本願は尼寺です。

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勤行を終わり本堂から大勧進に戻る貫主さまです。

参道に跪く参拝者には、勤行の行き返りの貫主(又は上人)から功徳が頂けます。
参拝者の頭を数珠で撫でていただけるのです。
無料ですので、なおさら有難みが大きく感じます。

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貫主に引き続いて勤行を終わった僧侶たちも本堂から引き揚げて行きます。
頭から被った黒い防寒衣が、まるで烏のようでした。

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参道を下りきったところにある味噌屋「こうじ屋」の店構えです。
ここで味噌漬などを買いました。

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週の初めは、郡山に居ました。
麓山公園です。
赤松の多い明るさのある公園でした。
「麓山」と書いて「はやま」と読みます。

郡山市はあまり歴史の匂いがしないイメージの町です。
その歴史を辿ってみてわかりました。
以下、経緯を述べます。

郡山村は奥州道中の街道沿いの村でした。
村が宿場町として昇格したのは江戸時代の後期文政7年(1824年)です。
宿場町昇格の記念として公園が作られました。
一般に公開された庭園が多くはなかった江戸期には珍しい話です。
この頃の人口は5千人程度でした。

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公園内にある安積疏水の飛瀑です。
残念ながら水は流れていませんでした。

郡山の安積原野は阿武隈川に向かって広がる斜面で水利が悪い荒地でした。
猪苗代湖の水を引いて耕地とする試みは明治の士族対策として始められました。
明治12年から15年、3年かけての工事で完成した疏水により郡山の発展の基礎がつくられたことになります。
西南戦争が明治10年の出来事でしたから、当時の政府の不平士族対策の切実感が感じられます。

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疏水完成後、安積原野に入植が始まります。
久留米、高知、鳥取、岡山、松山、米沢、会津、二本松、棚倉藩の9藩から士族が入植しました。
疏水の水は農業用水のみならず、高低差を利用した水力発電は工場利用もされ、やがて一次産業、二次産業が育っていきます。
当然産品の流通が伴い、商都としての郡山が形成される訳です。
そして今や33万人の中核都市となっています。

写真は郡山市政施行を記念して大正13年に建てられた公会堂です。
地方都市に建てられた本格的な公会堂としては、はしりの建物と言われています。

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