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飛鳥山のさくら [東京散策]

飛鳥山・染井 067.jpg

飛鳥山へ花見に出掛けました。
吉宗が飛鳥山に、桜の木1,000本を植えて以降、飛鳥山は花見の名所になりました。
かつての名所は上野の山でしたが、享保以降、名所は飛鳥山に移ります。

「享保のころまでは、花見は上野にきわまれり、外に名所またああらしと人々おもひしに、元文のはじめ、飛鳥山にけをされ、いまの上野に行く人は、紙子ばをりのふる入道、かねもたぬはやらぬ医者か、世をしのぶふかあみ笠のふじやの伊佐衛門から釣りをとるようなわろのみ、まん山いとさびしく、・・・」(銀杏栄常盤八景、宝暦12年刊)
飛鳥山に気圧された上野の情景が紹介されるまでになります。
飛鳥山・染井 061.jpg

さて、その飛鳥山の桜です。
満山さくらが咲きほこる光景となっていました。

江戸期、上野は将軍家菩提寺の地でした。
町奉行、寺社奉行の手が及ばない治外法権の地です。
花見客は山同心から茣蓙(ゴザ)を借り受け花見の宴を繰り広げますが・・・。
暮れ六つ時には、山同心が茣蓙の回収に回り、花見客を門外に追い立てます。
歌舞はOKですが、鳴り物禁止、酒は飲んでも、魚を食べることは禁止。
人出は多くても、押し合い禁止、静々と歩けと指示があります。
なにかと制約が多く、堅苦しい雰囲気の花見であったそうです。
花見の時期の飛鳥山は、制約一切なしの無礼講の世界だったそうです。
上野に閑古鳥が鳴き、飛鳥が繁盛するのも当然の帰結です。

飛鳥山・染井 064.jpg

・・・で江戸御府外ではありますが、このような美形がそぞろ歩きする飛鳥山となりました。
ちょっと、声を掛けたくなるではありませんか。
いや、無礼講、無礼講。

飛鳥山・染井 075.jpg

ちょっと、「お姉さん、こっちに寄りなよ。」
「美味しい弁当も用意したよ。」

飛鳥山・染井 063.jpg

桜の木の下の宴会も盛り上がっています。

江戸人を気取って、飛鳥山の花見に出かけましたが、江戸の風情は感じられませんでした。
只々、埃っぽい空間で、用意した超豪華四重の折詰を開く心地もなく、慌ただしく桜を見て、飛鳥山を辞します。

写真の一部は飛鳥山博物館の展示物の写真です。
許可を得て撮影してきました。
入館料300円ながら料金に見合った、見ごたえがありました。
特に花見弁当の展示は・・・・。


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