山形を歩く [只今出張中]
今週の出張先は山形でした。
あいにくの天候で、蔵王の山並みを見ることはできませんでしたが、山形の町の早朝散歩です。
ホテルを出て、霞城(カジョウ)を目指します。
山形のお城は、最上義光(ヨシアキ)によって整備されました。
徳川初期の最上家は57万石の大藩です。
それにふさわしい広大なお城です。
しかし、最上家改易後は鳥居、保科、松平、堀田と譜代大名が入れ替わりました。
領地も20万石、15万石、10万石と減っていきます。
幕末期には、天保の改革の失敗で左遷された水野家が転封されてきました。
石高なんと5万石、初期の最上氏時代の10分の1以下です。
これでは、お城の維持管理も大変であっただろうと想像してしまいます。
あいにくの天候で、蔵王の山並みを見ることはできませんでしたが、山形の町の早朝散歩です。
ホテルを出て、霞城(カジョウ)を目指します。
山形のお城は、最上義光(ヨシアキ)によって整備されました。
徳川初期の最上家は57万石の大藩です。
それにふさわしい広大なお城です。
しかし、最上家改易後は鳥居、保科、松平、堀田と譜代大名が入れ替わりました。
領地も20万石、15万石、10万石と減っていきます。
幕末期には、天保の改革の失敗で左遷された水野家が転封されてきました。
石高なんと5万石、初期の最上氏時代の10分の1以下です。
これでは、お城の維持管理も大変であっただろうと想像してしまいます。
最上義光の銅像です。
市内には最上義光歴史館という施設もあり、地元ではそれなりの有名人なのでしょう。
私にはあまりなじみはない人物なのですが。
「伊達政宗のライバル」、「米沢藩の直江兼続が戦った相手」程度の知識しかありません。
銅像は直江山城守との闘いに向おうとする最上義光の姿だそうです。
山形のお城は、東方の蔵王につながる山並の扇状地の裾野にあります。
扇状地には城下町が広がります。
お城より高い位置に城下の街並みが広がるという特異な形となっています。
その理由は「扇状地の伏流水を探り、水の手を確保できる位置にお城を築いたため」などと言われています。
以下、山形で食べたものの紹介です。
板蕎麦です。
到着日のお昼にいただきました。
写真は一人前ですが、ゆうに二人前の分量がありました。
午後の仕事に多少差支えが出たかもしれません。
そして、山形名物「ひやしラーメン」です。
メニューを見ると冷やし中華には「夏期のみ」とのコメントが付きますが、冷しラーメンは通年メニューのようです。
「今日はちょっと寒いから」と止める同行者を振り切って注文しました。
ゲソ天が乗っています。
山形の人は「ゲソ天」をよく食べるそうです。
ガラスの器がいやがうえにも「冷やし」を強調しています。
感想を聞かれれば・・・、
暖かいラーメンを食べている人がうらめしい気分でした。
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