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中野御囲(おかこい) [東京散策]

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JR中野駅の北口を出ると、サンモールのアーケードがあります。
商店が並ぶ通りがサンモールからブロードウエイへと続きます。

今はなくなりましたが、ブロードウエイ手前の小路を左手に入ったところに名曲喫茶がありました。
五木寛之のエッセイ集「風に吹かれて」に「K」という名前で出てきます。

話は変わりますが、中野駅の北口あたりは将軍綱吉時代に犬小屋があったところです。
「生類憐みの令」はみなさん歴史で学んだと思います。
貞享4年(1687年)1月28日発布され、宝永5年(1709年)1月20日の撤廃まで22年間続きます。
「徳川実記」には貞享4年4月10日、「御殿番保泉市右衛門奴僕、犬を切って遠島」の記録が見えますが、処罰内容も徐々にエスカレートしてゆきます。
「御仕置裁許帳」を見ると、元禄元年頃には「鶏を絞め殺して売っていた増上寺門前伊右衛門獄門」、「江戸中川尻で鳥をとった磐井町の清兵衛獄門」、「モチ網で雁を4羽捕った江戸芝金杉一丁目の作左衛門獄門」と極刑がずらりと並んでいます。

ところで、写真のサンモールの路面をジッと見つめてください。
路面が階段状になっているように見えませんか。
路面を見つめながら歩くと、足がもつれそうになってしまいます。

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犬を飼い面倒に巻き込まれることを畏れた町民たちにより捨て犬が増加、江戸城下には野犬が溢れます。
幕府は、四谷、大久保、東中野に犬小屋を造り収容をしましたが、すぐに満杯になってしまいます。
そこで中野に30万坪の敷地を確保して大規模な犬小屋を作ることになりました。
「一の囲」から「五の囲」までありました。
さなから第1期分譲から第5期分譲まである大規模マンション開発のようです。

「一の囲」は中野2丁目、今のJR中野駅の東に広がる操車場の辺りです。
「二の囲」は中野4丁目、先ほどの中野駅北口、サンモールあたり。
第一期、第二期と広がって行きました。

写真は区役所前の犬のモニュメントです。
お犬さまは中野発展の基礎になったのでしょうか。

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中野の犬小屋は30万坪に約11万頭jの犬を収容したといいますから、一つの囲いは6万坪、約2万匹の犬を収容したのでしょうか。
ここは「三の囲」です。
かつて陸軍中野学校、戦後は警察大学校が置かれ、今は中野セントラルパークとして再開発中です。
ビジネス拠点となる2棟のビルと明治大学、平成帝京大学、早稲田大学の建物が広い公園を取り囲みます。
中央の公園を群れて駆けまわる犬を、つい想像してしまいます。
再開発構想では、完成後はここに2万匹・・いや2万人のビジネスマン、、学生が集うことになるそうです。

「四の囲」はセントラルパークの西、環七に至る間、今の高円寺北1丁目にありました。

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中野駅南口、丸井の手前にあるレンガ坂です。
丸井の裏は小高くなっています。
中野は将軍家の鷹狩の猟場でした。
鷹狩の将軍陣地「御立場」は丸井の裏の辺りに置かれていました。

「五の囲」は、どうも「御立場」をつぶして建てたようです。
中野3丁目から高円寺南5丁目の東半分に存在したようです。
レンガ坂を上り、桃園通りから堀の内道を辿ると、途中に公園があります。
「囲桃園公園」といいます。
公園の名前がこの地の歴史を語っています。





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