行く末は誰が肌ふれん紅の花(山形) [只今出張中]
福島駅で分岐した新幹線が米沢に向かうと、紅色に染まった山々に囲まれて列車は進みます。
やがて米沢に近づくと、点在する農家の庭には柿の木が見られます。
色付いた柿の実が、さらに秋を感じさせます。
懐かしい日本の農村風景が展開する旅程を楽しみました。
そして今、山形の十日町通りを歩いています。
江戸期、紅花は山形の特産品でした。
そして今、山形の十日町通りを歩いています。
江戸期、紅花は山形の特産品でした。
紅花は染料に、また口紅の材料として使われました。
それで芭蕉も山形に来て、
「行く末は誰が肌ふれん紅の花」
と艶っぽい句を詠んでいます。
江戸時代、山形城下の七日町、十日町には紅花の市が立ったそうです。
写真の蔵造りは、そんな紅花商人長谷川家の建物です。
山形藩初代藩主最上義光は、領内の城下町整備、交通網整備を行うとともに、
近江商人など外来商人の自由交易を奨励をしたそうです。
その名残でしょうか、十日町通りに近江屋の看板を掲げる蔵造の店舗を見つけました。
十日町、七日町の花市で買い集められた紅花は、最上川を下り、
庄内の港から北前船で敦賀、琵琶湖、大津を経由して京に運ばれました。
紅花の流通ルートには近江があったのです。
近江商人が活躍していることも、なんとなく頷けます。
近江商人が活躍していることも、なんとなく頷けます。
朝の散歩で改めて街並みを眺めると、蔵造りの立派な店舗が、其処此処に発見できます。
城下町ではありますが、商人の町として栄えた印象を強く感じました。
宝暦年間に薩摩藩主の許可を得て、鹿児島に進出した山形商人創業の呉服屋が前身です。
夜、出掛けたお店です。
看板に掲げられた庄内浜鮮魚の刺身に舌鼓を打ちました。
内陸部の都市ながら美味い魚を堪能できたのには満足しました。
酒は、市内に蔵元がある男山です。
熱燗が辛口を引き立てて、杯が進みました。
帰りには酒屋に寄って、「朝日鷹」の四合瓶を買ってきました。
熱燗が辛口を引き立てて、杯が進みました。
帰りには酒屋に寄って、「朝日鷹」の四合瓶を買ってきました。
かの「十四代」を作る蔵の県内向けの酒なのだそうです。
これも楽しみです。
前回の出張(クリックで前回記事へ)とは、また異なった山形の姿を発見しました。
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