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甲府にて3(武田神社) [只今出張中]

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またしても、甲府に来ています。
4月の第一週は信玄公祭りです。
武田神社境内で見かけた光景です。

「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、讐は敵。」
信玄の言葉を思い出します。

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武田神社に至る坂道は桜並木になっていました。

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社殿です。
武田神社は武田信虎、信玄、勝頼三代の居城、躑躅ケ崎館の跡に建っています。
先ほどの桜並木の通り沿いには武田二十四将の館が立ち並んでいたそうです。
戦国時代の話ですが。

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4月12日は武田信玄の命日です。
武田24将騎馬行列が市内を練り歩くそうです。
残念ながら、業務中につき、遠く陣太鼓の響きを聴くだけでした。
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信玄公祭り最終日に見かけた子供武者行列です。
この旗印は飯富兵部少輔虎昌の隊ですね。
飯富といえば、勇猛さで名高い赤備隊を率いた武将です。
何故か黒い具足を着ていますが。
赤備隊は武田氏滅亡後、家康により、井伊家に伝えられています。

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さて、市内を散策しながら、甲府で食べたものを紹介しましょう。

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甲府駅前、平和通りにある蕎麦屋「奥藤本店」で食べた「ソースかつ丼」です。
会津、福井、松本、長野、前橋で見かけましたが、山梨もソースかつ丼文化圏のようです。
奥藤本店は、B級グルメ「鳥もつ煮」発祥の店です。

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蓬莱軒の「支那そば」を食べました。
店の売り文句は「全国で初めて支那そばを復元した」となっています。
見た目はこんなのです。
行列が出来るだけあって、美味しかったです。

ちなみに支那=中華の意味です。
今は「しな」と入力しても「支那」とは変換できません。
中国を指す地理的用語ですが、政治的な配慮から敗戦後「支那の呼称を避けることについての件」という外務次官通達が出ています。
以後、死語となっているようです。

ほうとうは未だ食べていません。
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