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青森から [只今出張中]

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東京から青森まで新幹線で3時間、想像していた以上に近いと思いました。
駅をおりたとたん眼の前に広がる雪景色に、やっぱり距離を感じました。

写真は昼休み時間に訪れたねぶたの家ワ・ラッセです。
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連絡船埠頭に八甲田丸がメモリアルシップとして繋留されています。
青函連絡船は1988年に廃止となっています。
いまだに私の頭には青森といえば青函連絡船のイメージなのです。

青函連絡船は1908年(明治41年)に運航を開始しています。
第二次世界大戦中は米軍艦載機の攻撃を受け壊滅的な打撃を受けます。
1954年9月26日には台風による洞爺丸沈没事故が起きています。
死者・行方不明者1155名という日本おける海難事故としては最大級の事故でした。
その経過や原因について記録した小説に上前淳一郎の「洞爺丸はなぜ沈んだだか」があります。
1988年(昭和63年)3月13日、青森から函館に向かった八甲田丸が青函連絡船80年の歴史を閉じました。

八甲田丸の船首近くの埠頭には、津軽海峡冬景色の碑がありました。
近付くと歌が流れ出します。
石川さゆりの歌を聞きながら眼の前の海と青函連絡船と眺めていると、よくできた歌だと実感できます。

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青森は江戸時代の初期、津軽藩弘前の外港として開かれます。
年貢米の積出しの拠点としての役割がありましたが、西回り、東回り廻船の商港として、また蝦夷地への渡航地として栄えることになりました。

写真は青森のベイブリッジです。
八甲田丸の写真はこの橋の上から撮影しました。

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市内散策中に見かけたお地蔵さまです。
ケープを被っているのがいかにも雪国らしい姿です。
市内の平均積雪量は1mを越え、年間降雪量も6mを越えています。
「人口30万規模の都市では世界一の豪雪都市だ」とタクシーの運転手が自慢げに言っていました。

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善知鳥神社です。
善知鳥、読めますか、「うとう」と読むのだそうです。
江戸時代初期に港が開かれ、町割りがされる以前は善知鳥村といいました。
この神社が善知鳥村の中心であったといいます。
青森湾沿いの浜は「外ケ浜」といい、境内に残る池は海岸沿いの潟湖の名残りだそうです。
「外ケ浜」の名前も、最果ての地のイメージが漂います。

古代、都人には辺境の地として認識されていました。
「外ケ浜」も「うとう」も和歌に詠まれています。
「陸奥の外の浜なる呼子鳥鳴くなる声はうたふやすかた」は藤原定家の歌です。
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青森駅近く、市場内の寿司屋で昼食を摂りました。
マグロといくらの丼です。
マグロは言わずと知れた大間のマグロです。

夜は津軽海峡冬景色なぞが流れる居酒屋で一杯できればと思っていましたが、諸般の事情により洋食となりました。
これはこれで美味かったですが。


洞爺丸はなぜ沈んだか (1980年)

洞爺丸はなぜ沈んだか (1980年)

  • 作者: 上前 淳一郎
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1980/11
  • メディア: ハードカバー



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