SSブログ

竜馬はどこにいる(高知2) [只今出張中]

高知 079.jpg


言うたち いかんちゃ
おらんくの池にゃ
潮吹く魚が 泳ぎよる
よさこい よさこい

太平洋を池と言う土佐人の気宇壮大さを思わせる歌です。
海の向こうを見つめていた竜馬を連想させます。
二日目の朝は「竜馬はどこにいる」のテーマで散策しました。
高知城下を歩いてみます。

高知 039.jpg

高知空港についたとたん、空港ロビーに竜馬像がいました。
桂浜はもちろんのこと、高知駅前にも、町中のいたる所に竜馬の像や絵が氾濫しています。
探すまでもないのですが。

高知の町は北の江ノ口川と南を流れる鏡川に挟まれています。
高知城へ向かう追手門筋の通りです。
東西の道を筋、南北の道を通りと呼んでいます。
追手門筋を西へ、とりあえず高知城へ向かいました。
いかにも南国らしい通りですね。

高知 066.jpg

高知城は小高い丘の上にあります。
天守閣は1749年の建造、貴重な江戸期の遺構です。
残念なことに早朝のため天守閣は未だ開いていませんでした。

この高知城の周囲の街並みを「郭中」と呼びます。
郭中は土佐藩の家士が居住する町でした。
郭中の西、鏡川、江ノ口川上流を上町と言い町屋の地区です。
郭中の東、川の下流側を下町と言います。
武家屋敷街の外郭を町屋が取り囲むという典型的な城下町の構造です。
高知 115.jpg


竜馬生誕の地を目指して歩いています。
竜馬は上町の郷士坂本家の次男として生まれました。
郭中と上町の境に枡形の地名が残っていました。
枡形(ますがた)は塀、土塁や石垣で方形の空間を作った防御施設です。
枡形の内と外に上士と郷士の身分差を感じます。
土佐藩の郷士の多くは関ヶ原で敗れた長宗我部の家臣です。
藩での差別は徹底していたようです。
幕末期に脱藩し、国事に奔走した多くは郷士であったと言います。
この差別が影響しているのでしょう.

高知 116.jpg

枡形を過ぎてしばらく歩くと竜馬の生家跡がありました。
もちろん建物は残っていません。
道路脇に石碑がありました。

竜馬の妻、お龍は竜馬暗殺後に坂本家に引き取られています。
坂本家での生活は長くなかったようですが、このあたりをお龍は歩いたのでしょうか。

高知 009.jpg

高知に着いた夜のカツオのたたきです。
このあと毎食カツオ責めとなるとは知る由もなく、まず最初に注文したのはカツオでした。
新鮮で美味かったのは確かです。

たたきの皿の向こうの小鉢は「どろめ」(かたくちいわしの稚魚)のヌタです。
この他、クジラの竜田揚げなどで一杯やりました。

高知 010.jpg

お酒は「土佐鶴」
御猪口が派手な模様で、いかにも土佐好みの意匠です。
面白く感じました。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。