雪の札幌 [只今出張中]
今週は札幌に行っていました。
新千歳空港から札幌の町に着いたころは夜となっていました。
明日の天候は荒れそうとの予報もあり、今のうちにと街に出てみます。
雨の中、イルミネーションで飾られた大通り公園のあたりを散策してみます。
時計台の夜景です。
明治期の札幌農学校は大通り公園に隣接するこの地にありました。
時計台は農学校の中心的建物として建てられたそうです。
ミリタリーホール(演武場)として軍事教練などのための講堂として使用されたそうです。
当時の人々には観光名所となるとは考えられなかったでしょう。
早朝散歩、雪になっていました。
旧北海道庁の建物です。
赤レンガ造りの建物は明治21年(1888年)の完成です。
建設を命じたのは北海道庁初代長官、岩村通俊です。
岩村は開拓判官時代、北海道長官時代と二度にわたり北海道行政に携わり開拓発展に寄与した人です。
目的のためには手段を択ばないという風があるようで、個人的にはあまり好きになれない人物ですが・・・。
札幌駅前の通りを南下すると、やがて「すすきの」に行きつきます。
札幌の夜の歓楽街として知られる街です。
写真の通りから南へ一歩入ると飲食店、ソープランドが並ぶ通りが続きます。
ビルに取り付けられた「ニッカ」「キリン」「サッポロビール:の大看板がこの街の性格を物語ります。
札幌の夜の歓楽街として知られる街です。
写真の通りから南へ一歩入ると飲食店、ソープランドが並ぶ通りが続きます。
ビルに取り付けられた「ニッカ」「キリン」「サッポロビール:の大看板がこの街の性格を物語ります。
実は「すすきの」の成立には岩村通俊が絡んでいるのです。
北海道の開拓初期に男たちを開拓事業のために連れてきましたが、厳しい生活環境に少し稼ぐと故郷へ逃げ帰ってしまします。
岩村は男たちをつなぎとめる算段をします。
「此度、北海道開拓人夫一万人程差し遣わし候については、遠隔の義、自然、人夫共は厭倦の意を生じ候も計らい難し候につき、妓楼を立ておき公然売女免許仕候。この段、お届け申し上げおく候也。」
開拓判官岩村は太政官へ「官許遊郭設置の件」を申し出ました。
これが現在の「すすきの」に至っています。
ね、「目的のためには手段を選ばず」を感じるでしょう。
まだ他にあります。
「札幌御用火事」事件です。
防火上、札幌の民家は板葺であるべきと、茅葺の屋根を禁じましたが、事態は一向に改善されません。
自ら茅葺小屋に火を放ち、町の半分を焼き払っています。
岩村は北越戊辰戦争時、官軍の参謀でした。
小千谷会談で和平を望む長岡藩家老河井継之助を怒らせて、北越戦争の口火を切った人物です。
司馬遼太郎の「峠」をに出ていますね。
彼へのイメージはこの小説のせいであるような気もしますが。
写真は、狸小路のアーケードです。
「すすきの」の少し北側にあります。
かつて夜な夜な女達が出没して、男たちをたぶらかしたところから名付けられたそうです。
『其のばかしかた狸より上手なれば、人々かくは狸小路となん呼べるなり』(札幌繁盛記)
すすきの公娼街に対して、狸小路は私娼街でした。
今はアーケードのある商店街となっています。
狸小路の飲み屋に潜り込み、札幌の夜に浸ります。
「めんめ」という居酒屋で、ほっけ(でかい)、はたはた、めんめ(きんめ)など旨い魚と酒を堪能しました。
別に騙されることもなく、化かされることもなく、ホテルに帰着しました。
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