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大津事件現場を訪ねて [只今出張中]

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大阪での仕事を終えて、明日の仕事に備え大津まで移動しました。
琵琶湖湖畔のホテルで宿泊です。
ホテルベランダからの眺望です。
琵琶湖の向こうに比叡の山々が見えます。
あいにくの天候で遠くは霞んでよく見えませんでした。

大津は最近ある事件で世間の注目を浴びていますが、その皇子山は対岸の白い高層のビルがあるあたりです。
明治24年にも、日本国中を震撼させた事件がここ大津で起きています。
歴史上「大津事件」と言われる出来事です。

学校の日本史で学んだ大津事件は私が進路として法学部を選ぶきっかけになりました。
私の人生に大きな影響をあたえた事件ということになります。
今回はその現場を歩いてみたいと思っています。

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吉村昭の「ニコライ遭難」は大津事件を扱った小説です。
今回の散策はこの小説に沿って進めます。

ロシア皇太子ニコライはシベリア鉄道の起工式に出席する途上日本を訪問します。
明治24年のことでした。
当時、ロシアの国力は強大で、極東への勢力拡大は日本にとって脅威となっていました。
政府は、ロシアとの友好を深め、ロシヤの脅威を避けんがため国を挙げての歓迎を準備します。

明治24年4月27日、皇太子ニコライの乗った軍艦「アゾヴァ号」が長崎に入港します。
その後、鹿児島を経て、神戸から京都に入り、河原町の常盤ホテルを宿所とし、市内を見物しました。
京都周遊の一環として大津訪問が企画されます。

5月11日午前8時30分、一行は常盤ホテルを人力車で出発、県境を超え滋賀県に入ります。
大津第一の遊覧地は三井寺でした。
ニコライは三井寺の観月舞台から眼前に広がる琵琶湖の景色を楽しみました。

写真は三井寺の観月舞台です。

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皇太子一行は、その後、琵琶湖疏水に沿って湖岸に出、船で第二の遊覧地に唐崎まで船で渡ります。
唐崎の松林に設けられた休息所で休息後、再び乗船し、浜通り(泊まったホテルの辺りでしょうか)から昼食会場の県庁へ向かいました。
昼食後、人力車で県庁を出たのは、午後1時30分のことです。

人力車の列は東海道を京都へ向けて西進しました。
写真は旧東海道です。
2間3尺(4.5m)、広くはない道幅です。
両側には歓迎の人々がならび、人力車がやっと通りぬけられる程度の空間しかなかったそうです。
当時とあまり変わらない幅員の街並みが西に向かって続いています。

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事件現場付近に立つ、石碑です。
このあたりで、警備の巡査津田三蔵が腰のサーベルを抜き、皇太子ニコライに切り付けました。
ニコライは頭部に傷を負いますが、人力車を飛び下り路地に逃れ、津田はさらに皇太子を追います。
人力車夫2名が津田を取り押さえたことで、皇太子は難を逃れます。

広くもない路上で展開された惨劇を想像してしまいます。

この後の展開は日本史で学んだとおりの展開ですよね。
司法権の独立を守った児島惟謙の判決はご存じのとおりです。

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旧東海道を歩いているときに見た、「鮒寿司」のお店です。
早朝のためまだ店は開いていませんでした。

鮒寿司は大津名物ですが、熟れずしの一種で、発酵食品です。
臭い食べ物の代表例に挙げられます。

帰路、大津駅の土産物屋で見かけました。
売り子のおばさんが薦めるのです。
「臭いでしょう」と後ずさりしていましたら、別の鮒ずしを指さし、「こちらは、初心者向けです」と言うのです。
そのようにして勧められたお土産は初めてでした。



ニコライ遭難 (新潮文庫)

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  • 作者: 吉村 昭
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1996/10
  • メディア: 文庫


 

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