烏森駅界隈 [東京散策]
現在の新橋駅の東口にはD51の動輪と鉄道唱歌の碑があります。
「汽笛一声新橋を はやわが汽車は離れたり 愛宕の山に入り残る 月を旅路の友として」
で始まる鉄道唱歌は明治33年(1900年)の作です。
歌われた新橋は、汐留シティセンタービルの前に再現された「旧新橋停車場」であることは御存知だと思います。
大正3年(1914)12月20日東京駅が開業すると同時に、旧駅は貨物専用駅として汐留駅と改称され、現在地が新・新橋駅となりました。
それまで、ここは烏森駅と呼ばれまていました。
新橋駅周辺は新橋2丁目にあたりますが、当時の地図では烏森町との名が見られます。
その経緯からすれば、鉄道唱歌の碑の存在はどうなんでしょうか。
「汽笛一声新橋を はやわが汽車は離れたり 愛宕の山に入り残る 月を旅路の友として」
で始まる鉄道唱歌は明治33年(1900年)の作です。
歌われた新橋は、汐留シティセンタービルの前に再現された「旧新橋停車場」であることは御存知だと思います。
大正3年(1914)12月20日東京駅が開業すると同時に、旧駅は貨物専用駅として汐留駅と改称され、現在地が新・新橋駅となりました。
それまで、ここは烏森駅と呼ばれまていました。
新橋駅周辺は新橋2丁目にあたりますが、当時の地図では烏森町との名が見られます。
その経緯からすれば、鉄道唱歌の碑の存在はどうなんでしょうか。