芋坂団子を食す(根岸界隈) [東京散策]
根岸の子規庵に来ています。
子規の部屋の前のヘチマ棚、縁には去年の糸瓜が転がっています。
「をとといのへちまの水も取らざりき」、絶筆三句のひとつです。
子規の部屋の前のヘチマ棚、縁には去年の糸瓜が転がっています。
「をとといのへちまの水も取らざりき」、絶筆三句のひとつです。
「棚の糸瓜思ふところへぶら下がる」、「病床のながめ」と題して読まれた句です。
棚の向こう、ガラス戸のある6畳間が子規の寝室兼書斎でした。
庭に面して6畳間と8畳間が並ぶつくりとなっています。
子規庵での句会は8畳の座敷で行われたそうで、漱石や鴎外も訪れました。
子規の写生論は、古典の知識や教養にもたれかかった表現を排除するところから出発しています。
対象を自分の感覚で捉え、自分の感性に触れるものを自分の言葉で描いてみせることが写生であるとすれば、
近代社会で芽生えた自我の発現運動であったと理解できます。
この家の8畳間が、日本の近代文学、国語学に与えた影響は大きかったのだと感動しています。
棚の向こう、ガラス戸のある6畳間が子規の寝室兼書斎でした。
庭に面して6畳間と8畳間が並ぶつくりとなっています。
子規庵での句会は8畳の座敷で行われたそうで、漱石や鴎外も訪れました。
子規の写生論は、古典の知識や教養にもたれかかった表現を排除するところから出発しています。
対象を自分の感覚で捉え、自分の感性に触れるものを自分の言葉で描いてみせることが写生であるとすれば、
近代社会で芽生えた自我の発現運動であったと理解できます。
この家の8畳間が、日本の近代文学、国語学に与えた影響は大きかったのだと感動しています。