SSブログ

郡山、長野そして松本を歩く [只今出張中]

長野松本 051.jpg


先週は郡山、長野、松本に出張でした。
最終地、松本の朝は凍りつくような寒さでした。

松本城は石川数正とその息子により築かれました。
石川数正は徳川家の重臣でしたが、家族、家臣を連れて秀吉の元へ出奔します。
伯耆守を名乗っていたことから「徳川の家に伝わる古箒、今は木の下を掃く」と京阪人から揶揄されたと言います。
小田原の陣後、家康が関東移封となると数正は松本に封じられました。
関東の監視役と言うことでしょうか。
8万石の石高に見合わず立派な天守閣となっています。
築城にかなり無理をしたと思われます。
「建築の材料概ね之を民間に徴発し其の巨材、大石を採るに処を選ばず、社殿、寺院、民舎等の破壊せらるるもの多し」
との話も伝わっています。
数正の息子の代には、大久保長安失脚に連座して石川家は廃絶となっています。

続きを読む


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。