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年の瀬 [東京以外散策]

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12月の縁日は正月用品などを商う露天が並び、歳の市といいます。
その中で薬研掘不動尊の市が最後となることから、「納めの歳の市」と呼ぶのだそうです。
正月飾りが並ぶ店先は活気にあふれていました。

店先の正月用品を眺めていると、後は新年を迎えるだけとの気分になります。

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池上本門寺 [東京散策]

池上本門寺 025.jpg

房総半島は、砂浜が続く九十九里のイメージは強いですが、勝浦から鴨川に続く海岸線は「おせんころがし」(*1)と呼ばれる断崖が続きます。
千葉勤務時代、その海岸線を車で走っている時、誕生寺の存在を知りました。
日蓮生誕の地(*2)に建つお寺です。

今日は池上の本門寺に来ています。
日蓮、終焉の地です。

境内の五重塔は慶長13年(1608年)建立の重要文化財です。

(*1)おせんころがし:この地方の豪族の娘「おせん」の話です。村人をくるしめる強欲非道の父親をいさめようとするが、かなわず、断崖から身を投げたという言い伝えがこの断崖の通称なっています。
(*2)誕生寺:1276年(堅持2年)、日蓮の生誕地に建てられた寺です。元禄16年の地震により、生誕地は海底に沈みましたが、その後、現座地に移転し続いています。

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表参道 [東京散策]

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新潟館ネスパスに用があって、原宿へ行ってきました。
毎度のことですが、歩道はごらんのような人混みです。

「私が改めて表参道の辺りを散歩したのは、それから十年少し経った昭和五十年であった。
・・・・・・表参道に溢れる若者の群れに<イナゴの日>という言葉を想起した。」
小林信彦が「私説東京繁昌記」で書いた情景は平成を二十年も超えた今も続いています。

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納めの観音、買ってきたのは羽子板ではなく・・・。 [東京散策]

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毎月18日は観音様の縁日です。
年の瀬の12月18日は「納めの観音」というのだそうです。
18日を挟んだ3日間は、浅草寺の歳の市です。
羽子板市と言ったほうが通りが良いようです。

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江戸八百八町に隠れのねえ、花川戸 [東京散策]

花川戸はきだおれ市 040.jpg


浅草寺、仲見世の通りは、相変わらず人通りが多いですね。
通りはすでに新年向けのディスプレイでした。
浅草にはクリスマスは関係ないようです。
トナカイなぞ走らせないは、「立派」!です。

写真は浅草観光文化センター8階からの眺めです。
今まで、トイレ借りたり、観光案内でしか使用していませんでしたが、
エレベーターで上がって見たのが、この光景でした。

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極大射程・・名古屋城で考える [只今出張中]

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今回の出張先は名古屋でした。
朝、名古屋城を1周しました。
お城は名古屋台地の西北端に立地します。
地形図を眺めると、天守閣のある本丸、官庁街となっている三の丸、外堀の外の碁盤割と呼ばれる旧城下のいずれも標高14メートルの台地の上にあります。
ですから大手方面から眺めると高低差に乏しい表情のお城です。
しかしお城の西と北側は台地下となり写真のような眺めとなります。
尾張平野を西から来る敵を想定した造りであることが実感できます。

南と東の堀は空堀となっていますが、西と北に幅が広い水堀が広がっています。
これも西の勢力に備えた造りでしょう。

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郡山、長野そして松本を歩く [只今出張中]

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先週は郡山、長野、松本に出張でした。
最終地、松本の朝は凍りつくような寒さでした。

松本城は石川数正とその息子により築かれました。
石川数正は徳川家の重臣でしたが、家族、家臣を連れて秀吉の元へ出奔します。
伯耆守を名乗っていたことから「徳川の家に伝わる古箒、今は木の下を掃く」と京阪人から揶揄されたと言います。
小田原の陣後、家康が関東移封となると数正は松本に封じられました。
関東の監視役と言うことでしょうか。
8万石の石高に見合わず立派な天守閣となっています。
築城にかなり無理をしたと思われます。
「建築の材料概ね之を民間に徴発し其の巨材、大石を採るに処を選ばず、社殿、寺院、民舎等の破壊せらるるもの多し」
との話も伝わっています。
数正の息子の代には、大久保長安失脚に連座して石川家は廃絶となっています。

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