神田界隈/周恩来・漢陽楼 [東京散策]
神田古書まつりが始まっています。
昨日は雨で青空市は中止でした。
本日こそは、と勇んで出掛けました。
先週も、先々週も神田に出かけていますので、勇むことはないのですが。
「お祭り」となると血が騒ぐのです。
博多の町あるき [只今出張中]
福岡市はもともとは福岡と博多の二つの町でした。
市制施行に伴い、第1回市議会で名称選定を巡る投票が行われました。
福岡と博多を支持する票は割れ、同数となり、議長決裁で福岡市と決まった経緯があります。
博多の住民にとっては残念な結果となりました。
町の歴史は古く、大宰府の外港としての役割を持っていました。
博多津と言ったそうです。
交易に従事する商人たちの町として栄えていました。
博多の総鎮守とされる櫛田神社の創建が757年という事でも、歴史の古さが知れます。
ちなみに福岡の名称は黒田官兵衛の出身地備前福岡に由来します。
黒田家が関ヶ原以後この地に転封された以後の歴史という事になります。
今回は福岡出張でありますが、博多に敬意を表しまして「博多の町あるき」のタイトルにしました。
写真は櫛田神社境内に飾られた祇園山笠の写真を写したものです。
今年のお祭り、終わっていますので、写真で祭の賑わいを偲びます。
沖縄を歩いて、沖縄を考える [只今出張中]
今週は沖縄と福岡にいました。
到着の夜の那覇の国際通りです。
戦後、米軍から提供を受けた資材で建設されたアニーパイル国際劇場がこの通りにありました。
この通りの名前の由来です。
昭和23年ころのことでした。
アニーパイルは沖縄の戦いで戦死した従軍記者の名前です。
沖縄はどこを歩いていても戦争の影が色濃く残っているような気がします。
金沢・雨宝院・西廓 [只今出張中]
越前北ノ庄(福井) [只今出張中]
福井市は、江戸時代の初頭まで北ノ庄と言いました。
そのころの面影を求めて散策をして見たいと思います。
とは言え、福井の町は昭和20年7月に空襲を受けています。
爆撃で市街地の93%が被災しています。
さらに追い打ちをかけたのが、福井大震災です。
昭和23年6月28日のことです。
当時、新聞記者であった司馬遼太郎が震災直後の福井に入っています。
「福井地震当時のこの町は、盛り上げられたマッチ箱を、木の大槌で千度もたたきつぶしたような光景に似ていた。」(街道をゆく「越前の諸道」)と書き残しています。
写真は福井城の北の外堀に設けられていた舎人門です。
もちろん復元です。
永平寺 [只今出張中]
小松空港から福井市に出て、バスを乗り継ぎ永平寺の門前にいます。
横浜の総持寺と並ぶ曹洞宗の本山です。
杉の木立の向こうに見えるのは永平寺の正門です。
観光客は通用門から入り七堂伽藍巡りをします。
10月には珍しく暑い日でしたが、大杉が繁る山中は日差しが遮られ、樹間を吹き抜ける風は爽やかでした。
宇都宮市内散策 [只今出張中]
宇都宮はイメージの湧きにくい町です。
餃子しか思い浮かばないのは、宇都宮の人に失礼なのでしょうか。
散策しているとお城の前に出ました。
そういえば、ここは戊辰戦争の宇都宮の戦いの舞台でしたね。
宇都宮城に籠る新政府軍を土方歳三が指揮する旧幕府軍が攻めたのは慶応4年4月15日の事でした。
伝習隊、新選組、桑名藩兵からなる旧幕府軍は2,000名、城を守る新政府軍は700名。
旧幕府軍の猛攻に耐えられず政府軍は城から撤退します。
しかし政府軍は、増援を得て20,000人の軍勢で宇都宮城を攻めます。
二度目の攻防は慶応4年4月22日です。
この戦いでお城や城下が炎上しています。
そのお城が写真のように再現されていました。