無縁坂の御屋敷 [東京散策]
不忍の池畔に江戸時代の水茶屋の風情を再現した茶店があると聞いて、行ってみました。
蓮見茶屋というそうです。
残念なことに営業していませんでした。
緋毛氈の縁台に腰かけ、池の風景を眺め、ビールなぞを、と風流することを想像していたのですが。
気を取り直して、旧岩崎邸庭園に行く先を変更しました。
不忍の池から東大の龍岡門へ向かう道があります。
無縁坂といいます。
大久保で鉄砲をぶっ放す [東京散策]
新宿の北、JR線の新大久保と大久保の駅の間に、皆中稲荷という御社(おやしろ)があるのを、ご存知でしたか。
ここらあたり、百人町と言われるそうです。
江戸時代、鉄砲百人組の武士たちが住んだことに由来する地名です。
皆中稲荷は、彼らの信仰を得た神社のようです。
皆中(みな、あたる)神社なのです。
宝くじもあたりそう。
ということで、宝くじを買った人たちの信仰も得ているそうですが、本来は「鉄砲」の弾が当たる神社なのです。
新選組の京都を歩く [東京以外散策]
四条通りから北へ木屋町通りに入り、高瀬川沿いに歩いています。
四条通り寄りから古高俊太郎寓居跡、本間誠一郎暗殺現場、土佐藩邸跡、坂本竜馬が海援隊を置いた酢屋、三条通りに出ると池田屋と続きます。
幕末の京都を濃縮したような一角となっています。
「わしは月代が人目につくのを恐れて頭巾を冠り、高瀬川の流れに沿うた木屋町の通りを歩んでおった。時刻は五つごろ、夜更けというには早いが、あの時分の京はともかく物騒であったから、日が昏れればいつも夜更けのようであったな。川端の枯柳が、乾いた媼の髪のごとくに騒いでおったさまが瞼に残る。」
竜馬暗殺は見廻組の犯行とされていますが、浅田次郎の「一刀斎夢録」では新選組の斉藤一を実行犯として描いています。
この先、土佐藩邸から左に入り河原町通りの向かい側に竜馬暗殺の現場近江屋があります。
慶応3年(1867年)11月15日のことです。
今、斉藤一の気分で木屋町通りを歩いています。
京都の夜 [只今出張中]
待ちに待った、京都出張です。
京都の次の出張予定が延期となったので、出張に続けて休暇を取り、張り切って京都入りをしました。
八坂の塔と通称される法観寺、五重塔です。
日中は人の波となる産寧坂付近も朝はまだ閑散としています。
今回は夜の京都にご案内します。
浅草サンバカーニバル [イベント]
ひょっとして、西(高円寺)の阿波踊り、東(浅草)のサンバカーニバルと呼ばれているのではないか。
そう思って、片手落ちにならないよう、見物に行ってきました。
35度を超える猛暑のなか、物好きではあります。