振武台散策(朝霞市あたり) [東京以外散策]
昭和16年9月から昭和20年まで陸軍予科士官学校があったところです。
陸軍幼年学校や中学校から、この学校に入学した生徒は卒業後、士官学校に進みます。
神奈川県座間市にあった士官学校、相武台に対して、ここは振武台と呼ばれました。
今、陸上自衛隊朝霞基地にあたります。
写真の門柱は予科士官学校時代の正門です。
門柱の後ろは相武台から移築された皇族舎です。
今は記念館として予科士官学校時代の資料が展示されています。
今残されている当時の建造物は、この建物くらいでしょうか。
陸軍士官学校の相武台から移築されたものですが、
木造瓦葺、下見板張りの外壁は当時の兵舎建築のスタンダードであったと思います。
亡くなった父が士官学校を卒業したのは昭和19年のことです。
その士官学校の跡地は、現在米軍の座間キャンプになっています。
この建物を父は、きっと見たことがあると思います。
これも当時の遺跡です。
当時は構内の各所に、この石柱がっていました。
毎朝生徒たちが、皇居や生地に向かって遥拝を行った場所です。
戦後は米軍の駐留地となり、キャンプドレイクと言われていました。
駐留した第一騎兵師団の徽章を記した記念碑もありまた。
第一騎兵師団は、ここから朝鮮戦争に向かいました。
朝鮮戦争の開戦は1950年6月25日ですが、
碑に記された1950年7月21日は将兵がこの基地を後にした日だったのでしょうか。
碑に記された日付が胸に迫りました。
ちなみに騎兵第一師団はベトナム戦争にも従軍しており、
コッポラの『地獄の黙示録』にも出ていましたね。
なんと、旧日本軍の九九式10センチ山砲が展示されていました。
九九式とは皇紀2599年に正式採用となったことを示します。
昭和14年のです。
口径は105mm、最大射程は7㎞、有効射程は4㎞の砲です。
分解して馬2頭で運搬したそうです。
これは75式自走155mmりゅう弾砲です。
自衛隊の装備です。
先程の陸軍の山砲と比較して口径も大きな弾丸を飛ばします。
射程も19㎞と大幅に飛距離が伸びています。
旧軍との火力が大違いとなっていることが実感できました。
これも今は退役して、現在は99式に置き換わっています。
これは10式戦車です。(ヒトマル式と呼びます)
現在の主力戦車です。
近づくほど迫力が増します。
なにしろ1台10億円近くする代物ですから。
サラリーマン3人分の生涯賃金に匹敵します。
戦車を自国生産できる国が限られているという意味が実感できます。
これは戦車の砲主用照準潜望鏡です。
覗いてみました。
見辛い・・・、良く分かりません。
村上春樹などは酷評している作品ですが、
ワルキューレを鳴らしながら飛ぶ武装ヘリ(UH-1)など
映像的には楽しんだ記憶があります。
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