SSブログ

船橋橋 [東京以外散策]

船橋 011.jpg
この土曜日、所用があり船橋まで行ってきました。
予定の時間まで散歩です。
 
歩き始めて、しばらくのうちに見つけたのはこの表示でした。
これって何と読んだらいいの?
「ふなばしばし」、「ふなばしはし」、なんとも座りが悪くて落ち着きがありません。
「ふなばしきょう・・・」・・・狂、いえ狂ってはいないでしょう。
(ここは声に出して読んでみてください。)
船橋のイメージを掴みたいと、やみくもに歩いてみました。 
船橋 004.jpg
市役所の近くで、おそろしく時代がかった建物を見つけました。
玉川と赤い看板が掛けられています。
近寄って観察をします。
なんと、国有形登録文化財との表示がありました。
大正年代創業の料亭だそうで、これは昭和初年の建物です。
建てられた当時は、陸海軍の将校に好まれて利用されたそうです。
今、海岸線は随分遠くなっていますが、当時は海岸傍で、ここから船遊びもできたようです。 
そして、太宰治が、ここに逗留して「めくら草紙」を執筆したといいます。
船橋 007.jpg 
軍人さんが骨休みをする料亭もある軍都、太宰も滞在した海辺の町、
すこしづつ船橋のイメージが頭に形成されてきます。
ちょっと、海を眺めて見ようと、海岸方面に向かいました。
歩けども、歩けども、海辺に到達しません。
どれだけ埋め立てたんだ、と腹をたてギブアップしました。
 船橋 010.jpg
船溜まりに、貝漁で使われるジョレンが林立しているのを見つけました。
アサリとハマグリ漁が盛んであったそうですが、最近は水質の悪化で漁獲量が減少していると言われています。
街中を歩いていても、海苔など海産物を扱う店も見られました。
ちょっと心配になります。
 船橋 017.jpg
船橋大神宮まで来ました。
りっぱな御社です。
このような神域が存在するのは、古代からの要衝であることを示すのでしょう。
 船橋 020.jpg
境内には灯明台がありました。
かつては沖を通る船の目印となっていまたが、戊辰戦争で焼けたそうです。
明治に入り再建されて、明治28年まで使用されたそうです。
その灯台がこれです。
今は海岸線から随分離れた位置となっていますが、船橋の交通上の地位が想像できました。
船橋 027.jpg
御殿通りと呼ばれる通りです。
江戸時代初期、家康から家光の時代、
将軍の鷹狩時の宿泊建物、御殿がこの道沿いにあったので、この名前が付いています。
その御殿の跡には、小さいながら東照宮がありました。
船橋 033.jpg 
市民文化ホール向かいの浄勝寺境内には「お女郎地蔵」があります。
ずいぶんと小ぶりな御地蔵さんですが、目鼻立ちも定かでない表情に時代を感じました。
市の観光協会の解説では「歓楽街であった昔、薄倖な運命に翻弄された女性を弔うお女郎地蔵」となっていますが、お寺が設置したと思われる解説版は、まったく異なるイメージの物語が書かれていました。
いずれにしても街道が交差する宿場町が江戸期の船橋でしょうか。
 船橋 041.jpg
太宰治は昭和10年、1年余り船橋に滞在していますが、
その滞在時代に自宅庭に植えた夾竹桃が、市民文化センターに移築されています。
この夾竹桃の話が、太宰の作品「めくら草紙」に出てきます。
『私がこの町に移り住んだのは昭和十年の七月一日である。八月の中ごろ、私はお隣の庭の三本に夾竹桃にふらふら心をひかれた。欲しいと思った。私は家人に言いつけて、どれでもいいから一本、ゆづってくださるよう、お隣りに頼みに行かせた。』
 
御殿通りを抜けて、海老川を渡り、太宰の旧居跡を訪ねましたが、良く分かりませんでした。
高架の上を京成線が走り、こじんまりした住宅が立ち並ぶ一角でしたが、
太宰が住まった昭和10年ころの風景を想像することも出来ませんでした。
 
夕刻からの所用の席に「ホンビノス貝の酒蒸し」という一品がだされました。
外国種の貝ですが、外見は大アサリかと思われるスタイルです。
和牛に対するアメリカンビーフの歯応え、が私の感想です。
船橋の貝漁はアサリ、ハマグリからこの貝へ主力が移っているのでしょうか。
 
冒頭の船橋橋は、「ふなばしはし」と読みます。
江戸時代の頃は、町の中心部を街道が通り、街道からほど遠くない所に海が広がっています。
大神宮の参道の先にも海が広がっていたでしょう。
街道沿いには宿が立ち並び、沖で獲れる魚や貝が膳にも上る。
昔の船橋のイメージは、こんなだったでしょうか。
太宰が療養を兼ねて転居した昭和10年にも、そのような面影が残ってたと想像しました。 
 
 

太宰治選集〈2〉

太宰治選集〈2〉

  • 作者: 太宰 治
  • 出版社/メーカー: 柏艪舎
  • 発売日: 2009/04/30
  • メディア: 単行本

 
備忘メモ:JR船橋駅の北、天沼弁天池公園脇に「天鼓」という料理屋があり、
千葉勤務時代に数度利用したことがあります。
その店の雰囲気が気に入っていたのですが、貸ギャラリーに変わっていました。
 
 

nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

六月村の炎天寺早稲田界隈 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。