六月村の炎天寺 [東京散策]
地図を眺めていたら、
東武スカイツリーラインの西新井と竹ノ塚の間に炎天寺と記載されたお寺を見つけました。
季節外れで、なんとも暑苦しい名前のお寺です。
これは何?・・・ということで行ってきました。
これは何?・・・ということで行ってきました。
写真は炎天寺の山門です。
結構、涼しげではありませんか。
これも季節外れの感想ですが。
鼻水を垂らしながらの 感想です。
炎天寺への道案内です。
東武浅草駅から伊勢崎線、いやスカイツリーラインに乗りました。
行き先不明の何とも判りにくい名前に路線名なってしまいましたね。
でも浅草駅のレトロな雰囲気は好きです。
西新井駅で大師線に乗り換えて大師駅に到着、いまホームに立っています。
この駅ホームもなかなか良い雰囲気です。
この人がスカスカの感じ、好ましいと思いませんか。
西新井大師に軽く参拝します。
寒緋桜が咲いていました。
ここから炎天寺に向かいます。
石碑には「やせ蛙まけるな一茶是にあり」と刻んであります。
なんだか小林一茶と関係がありそうです。
タイトルも一茶の句「蝉鳴くや六月村の炎天寺」からいただきました。
炎天寺の住所は足立区六月3丁目となっています。
六月の地名も古いのですね。
炎天寺の山門の隣には鳥居があり神社がありましたが、
境内に入ると隣の神社と行き来自由となっていました。
八幡社でした。
天喜年間(11世紀)、源頼義、義家の奥州征伐の折、このあたりの野武士の一群に行く手を阻まれ苦戦した。
時は六月(新暦では8月上旬ですね)、炎天で苦戦したので石清水八幡宮に祈願しところ、戦に勝つことが出来た。そこで八幡社を勧請した。
というのがこの神社の由来のようです。
鳥居と山門、入口は別でも中は一緒、そう、炎天寺は八幡社の別当寺だったのです。
六月村の炎天寺となった訳に納得しました。
神仏融合の典型を見るようです。
このあと竹ノ塚を経由して、散策をしました。
うっかり、義家の時代にスリップしてしまったようです。
義家のころ、関東の地には、丈高い草が生い茂る原野が広がっていたはずです。
ブッシュを歩行移動していては見通しが悪く迷ってしまいそうです。
ここは騎馬移動が無難でしょう。
関東武者が馬術に長けていたのも、
このような原野を迷子にならず移動する必要からだったのではないかと思いました。
しかし、現代に戻らなければと、焦って歩いています。
いま舎人ライナーに乗っています。
炎天寺の由来は、この本にから引用しました。
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