高幡不動(日野あたり) [東京散策]
日野は新撰組の故地です。
なかでも高幡不動は土方家の菩提寺といわれます。
高幡不動とその周辺を歩いてみました。
写真は高幡不動境内の土方歳三像です。
土方はすぐれたオルガナイザーであると思っています。
そういう意味で興味がある人物です。
土方歳三が主人公の、
司馬遼太郎の「燃えよ剣」の冒頭は、大国霊神社の「くらやみ祭」で始まっていたと思います。
そこで高幡不動へ向かう前、府中で途中下車をして大国霊神社へ寄ってみました。
参道を歩いています。
なかなか立派な神社でした。
参道の前を甲州街道が横切っています。
近藤勇の生家は府中市の東隣、調布市にありますが、
大国霊神社前の甲州街道を西に向かえば日野宿です。
土方、井上源三郎、佐藤彦五郎の資料館が点在しています。
新撰組を生んだ江戸のはずれの土地柄を歩いて感じてみたいと思います。
高幡不動に到着しました。
結構な人出で賑わっています。
門前には新撰組まんじゅうなどを売っていました。
観光地化していました。
江戸の西郊、甲州街道沿い土地柄について、海野弘が触れている文章があります。
『千人同心は半農半士で農業をしながら、いざという時に戦うことになっていた。
多摩では武士と農民の境界があいまいとなり、農民が経済力を持ち、豪農として学問や剣術を学ぶようになった。
徳川の大半は戦いができない軟弱な武士をつくり出していた。
ペリーが開港を迫ったとき、対抗する兵力が欠けているのに驚いた幕府は、ついに農兵隊をつくる決断をした。
日野農兵隊、八王子農兵隊、田無農兵隊などがつくられた。
多摩における新撰組の発生は、以上のような時代背景のうちにとらえられなければならない。
半農半士の千人同心により武士が農民化し、豪農は剣術を習って武士に近づいた。』
( 「私の東京風景」より)
そういえば新撰組の井上源三郎(六番隊長)は、八王子千人同心の家系でしたね。
高幡不動から多摩モノレールで万願寺駅まで移動し、土方歳三資料館を訪れました。
住宅地の中にありました。
周りの住宅の表札はどこも「土方」となっています。
土地柄を感じましたが・・・・、
これでは郵便局の配達員も大変でしょう。
特に正月などは・・・。
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