花園神社(新宿) [東京散策]
お目当て店は開店前でしたので、時間調整の散歩しています。
靖国通りを歩いていると、前方を歩いていた和服コートの女性が花園神社の参道に入るのを見かけました。
つい釣られて私も参道に入り込みました。
浅田次郎の短編「角筈にて」のラストシーンは花園神社の境内となっています。
『花園神社の参道は銀杏と桜の木叢に被われていた。鳥居をくぐる前に、恭一はネクタイを直し、背広の前ボタンを留めた。』
小説では夜の花園神社、霧雨の境内が舞台ですが、今は晴天、早朝の境内です。
ちょうど骨董市が開かれていました。
骨董を眺めながら、時間つぶしを行っています。
境内は正月の準備が始まっています。
すでに初詣の参拝客を誘導する「新宿駅近道」の表示が社殿脇の出口に掲げられていました。
花園神社といえば、唐十郎の状況劇場「紅テント」の公演が、この境内で行われています。
「花園」とは、ずいぶんピンキーな名前ですが、尾張徳川家下屋敷の花園だったところに位置することから付いた名前だそうです。
御神体は稲荷社です。
花園神社といえば、唐十郎の状況劇場「紅テント」の公演が、この境内で行われています。
昔の話ですが・・・。
境内をうろついていましたら、一郭に「芸能浅間神社」がありました。
芸能に理解がある神社のようです。
芸能神社には、なんと藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」の歌碑がありました。
立ち止まって歌詞を追いかけてみます。
「十五、十六、十七と 私の人生 暗かった・・・」
受験勉強に明け暮れていた当時、このフレーズに共鳴を覚えた記憶があります。
練馬少年鑑別所で歌われていたものが原曲だと言われています。
ルサンチマンを含んだこの曲は、昔から多くの歌手によって歌われていますが、
藤圭子という歌い手を得て初めて「怨歌」となったのだと思います。
『日本の流行歌などとばかにしている向きは、このLPをためしに買って、深夜、明かりを消して聞いてみることだ。おそらく、ぞっとして、暗い気分になって、それでも、どうしてももう一度この歌を聞かずにはいられない気持ちになってしまうだろう。ここにあるのは<艶歌>でも<援歌>でもない。これは正真正銘の<怨歌>である。』(五木寛之「ゴキブリの歌」)
「怨歌」は五木の命名によるもののようです。
拝殿で参拝を終え、 先程の「新宿駅近道」の看板に従って境内を出ると、
そこはゴールデン街の入口でした。
ゴールデン街から出て来た女性とすれ違った時、
ゴールデン街から出て来た女性とすれ違った時、
「赤く咲くのは けしの花」と聞こえたのは空耳だったのでしょうか。
- 作者: 浅田 次郎
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2000/03/17
- メディア: 文庫
- 「角筈にて」は、この文庫に所収されています。
ゴキブリの歌 (角川文庫―五木寛之自選文庫 エッセイシリーズ)
- 作者: 五木 寛之
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 1994/12
- メディア: 文庫
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