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松山城 [東京以外散策]

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道後温泉から市内中心部に戻り松山城の麓まで来ました。
ロープウェイで山上を目指します。 
松山城は、加藤嘉明の築城です。
ロープウェイの駅前に嘉明の銅像がありました。 
加藤嘉明は秀吉と柴田勝家の戦いのクライマックスである賤ヶ岳の七本槍で知られる武将です。
・・・といってもピンときませんね。
同じ七本槍でも加藤清正、福島正則ほど名前は知られていないかもしれません。 
松山 068.jpg
今、ロープウェイに乗って山上に向かっています。
添乗の案内嬢がヨシアキ、ヨシアキと連呼して解説を加えていました。
司馬遼太郎も松山城と加藤嘉明の来歴の説明に苦労したのかもしれません。
『秀吉の子飼いの大名には土木家が多かった。城普請の藤堂高虎、石畳と灌漑土木の加藤清正が有名だが、加藤嘉明や福島正則でさえ、凡庸ではなかった。』(街道をゆく、南伊予・西土佐の道)
と、藤堂高虎、加藤清正、福島正則と抱き合わせで紹介しています。
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加藤嘉明は関ヶ原の戦後、6万石から20万石の身上となりました。
家康に乞い許され松山に新城を築きます。
清正の肥後52万石と比較して二分の一以下の石高なので、そのお城はたいしたことがないだろうと思っていましたが、
大違いでした。
ロープウェイを降りて歩いていますが、まだ本丸には入っていません。
天守は遥かかなたに見えていますが、行く手を拒むように高々と聳える扇勾配の石垣が延々と続いています。
松山 091.jpg 
ようやく天守閣の足元まで到着しました。
「堅固」という熟語が頭に浮かびます。
 松山 090.jpg
司馬遼太郎が藤堂高虎や清正まで引き合いに出して説明を試みている意味が少し理解できたような気がします。
熊本城にも匹敵するような縄張りの城郭でした。
松山 105.jpg
累々と続く本丸の石垣です。
石を山上に運び上げ、高々と積み上げたその労力を想うと、よくやったと感心します。
手にしていた土産物を麓のコインロッカーに投げ出して登って来た私には信じられない話です。 
『豊臣期をへた大名というのは、労働者のにおいを持っている。城普請や市街地の埋め立てのときには、みすからもっこをかついで土を運んだ。・・・松山城とその城下町をつくった加藤嘉明も、似たようなことをした』(街道をゆく)
と司馬も書いています。
DSC_0161.jpg
加藤嘉明は松山城完成目前に会津に転封となります。
その後、蒲生氏を経て親藩の松平氏が入封、幕末まで続きました。
結果論でいえば外様がつくり整備した城と城下町にちゃっかり徳川親藩が乗っかってしまったということでしょうか。
しかし嘉明の整備した城下は、いまや四国第一の都市となっています。
 
写真は天守閣から道後温泉方面を望む風景です。 
 

街道をゆく 14 南伊予・西土佐の道 (朝日文庫)

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  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2008/11/07
  • メディア: 文庫

 

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