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鹿屋へ(鹿児島) [只今出張中]

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9月の末から10月の始めまで鹿児島で仕事していました。
休日に大隅半島の鹿屋航空基地を訪れました。
 
鹿児島からフェリーで大隅半島に渡ります。
フェリーの航跡の先には、徐々に小さくなってゆく鹿児島の街が臨めます。
 
昭和16年太平洋戦争の開戦前、 
桜島がある鹿児島湾を湾内にフォード島を抱える真珠湾に見立てて、真珠湾攻撃の訓練が行われたそうです。
訓練の時期はちょうど今頃、10月の初旬から11月初めにかけて行われました。 
フェリーのデッキで、鹿屋海軍航空隊の基地を飛び立った雷撃機が飛び交う様を想像しています。
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フェリーからバスに乗り継ぎ小一時間、航空隊前で下車し、しばらく歩くと鹿屋基地です。
写真は屋外展示されている旧海軍の二式大型飛行艇です。
 
百田尚樹の「永遠の0(ゼロ)」は、姉弟が特攻で亡くなった祖父の事跡を調べるストーリーが展開されます。
二人が鹿屋基地を訪ねる場面を紹介します。
『かつての海軍航空隊基地は現在は自衛隊の基地になっていた。大隅半島の真ん中に位置し、南西に開聞岳が見えた』
さすが小説家だけに、現状とその位置を簡潔に説明しています。
『近くにある霧島ケ丘という小高い山の中腹から滑走路が一望できた。聞けば、当時の滑走路がそのまま使われているということだった。六十年も前に作られた掩体壕も残っていた。かつて祖父がみたのと同じ光景を見ていると思うと、感傷的な気分になった。』
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出張疲れもあり説明の文章を考えるのが面倒なので、引き続き小説を引用しますね。
『自衛隊の基地に隣接して、資料館があり、かつての海軍航空隊に関する資料が展示されていた。初めて本物の零戦を見た。思っていたよりずっと小さい飛行機だった。』
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小さな飛行機の小さなコックピットです。
小説は特攻機から送られる最後のメッセージについても説明してます。 
『特攻機は「敵戦闘機見ユ」の場合は短符連送つまり「ト」を連続して打ちます。そして、いよいよ空母に突入の際は、超長符を打ちます。「ツー」を長く伸ばして打つと、「我、タダイマ突入ス」という電信になります。そして体当たりの瞬間まで電鍵を押し続けるのです。』
コクピットを覗き込みながら、太モモに固定した電鍵を押し続けながら片手で操縦桿を操作するパイロットの姿を思い浮かべてみました。
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ところで、この小説で戦闘機の死角について知りました。
考えてみれば当たり前のことですが、『背面飛行を何度もやり、死角である下方への注意も怠りませんでした。』
確かに胴体下方は見えません、しかし空中では下からも敵は来るのです。 
 
『館内には特攻隊の遺書なども展示されていたが、とても読めたものではなかった。ぼくはいたたまれない気持ちで資料館を出た。姉はいくつかの遺書を読んでいたが、すぐに目を真っ赤にして出て来た。』
わたしも右におなじ。
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鹿屋の街を歩いてみました。
高い建物も少なく落ち着いた雰囲気の街でした。
小学校では運動会が行われていました。
競技を中継するアナウンスと児童の歓声、父兄のざわめき、校門前に出た屋台、運動会が街挙げてのイベントとなっている懐かしい風景です。
そのせいか、町中には人通りを見かけませんでした。
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表通りから一歩足を踏み入れてびっくりしました。
飲み屋さんが延々と続く裏通りが存在します。
人口10万の町にしては、巨大な飲食街は何故?
「無数の飲み屋あり?」とメモ帳に控え て、ハタと気付きました。
ここは軍都なのだ、昔も今も。
 

永遠の0 (講談社文庫)

永遠の0 (講談社文庫)

  • 作者: 百田 尚樹
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2009/07/15
  • メディア: 文庫

妻子を守る男の生き様を描いた小説です。
浅田次郎の「壬生義士伝」も同じモチーフの小説ですが、時代は幕末期の新撰組です。
両方とも映画化されていますね。
 

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