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天王寺界隈(大阪) [東京以外散策]

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昔は天王寺村と呼ばれた界隈を散策しています。
名前の由来は、言わずと知れた四天王寺にあります。
四天王寺の門前町として天王寺村が成立しました。
大阪の陣で一旦は無人の土地となりますが、徐々に人が戻り江戸期から現在に至っています。
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四天王寺は聖徳太子が創建した日本最初の官寺でした。
中門、五重塔、金堂、講堂が南北一直線に並ぶ伽藍配置は「四天王寺式」と言われることは御存知の通りです。
度重なる戦火で焼失をしていますが、そのつど再建され、飛鳥時代の伽藍配置を伝えています。
大阪冬の陣でも焼けましたが、徳川秀忠の援助で再建されました。
この史実から大阪の陣ではこのあたりも戦場となったことが知れます。
天王寺村が一旦は無住の地となった歴史にも頷けます。 
現在の中心伽藍は第二次大戦後に再建されたものであり、残念なことにコンクリート製でした。
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ただし、講堂の北に配置される六時堂など、秀忠時代の木造建築物も残っていました。
次は勝鬘院を訪ねます。
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勝鬘院は愛染かつらの木で有名ですね。
お寺への道筋で、愛染祭りのポスターを見かけました。
お祭りでは、愛染かつらの造花で飾られた宝恵駕籠(ほえかご)に、浴衣姿の愛染娘を乗せて「愛染さんじゃ、ホエカゴ」の掛け声で通りを練り歩くのだそうです。
今年はもう終わっていますが、一度見てみたいと思いました。
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愛染堂勝鬘院の佇まいです。
「愛染さんじゃ、ホエカゴ」にふさわしい景観のお寺ですね。
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ここを訪ねたのは愛染娘に用があった訳ではなく、この多宝塔を見るためです。
聖徳太子創建、信長の石山合戦で焼失したものを、秀吉が慶長2年(1597年)に再建した塔です。
大阪市内で現存する最古の木造建築物です。
大阪の陣の戦火を免れた建物ということですね。
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四天王寺の極楽門から西に下る逢坂の途中にある一心寺に参詣しました。
ここの境内は秀吉の妻高台院の寄進と言われますが、むしろ大阪夏の陣における家康の本陣が置かれた処と言うほうが有名でしょう。
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ということで、境内には大河ドラマ「真田丸」にあやかった旗が林立していました
夏の陣では、幸村が家康本陣に肉迫しています。
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・・・で、一心寺と道を挟んで向かい合う安居天神が幸村戦死の地とされています。
神社境内には幸村像がありました。
座り込んだ姿がちょっと戦い疲れした有様に見えます。
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一心寺から逢坂を下ると通天閣のある新世界はすぐ近くです。
二度漬け禁止の串揚げを商う店は、午前中から賑わっていました。
通天閣下ではポケモンGOに興ずる若者もたむろする最先端の風俗も眺められました。
ジャンジャン横丁を南に下ると飛田新地に繋がります。
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鯛よし百番は、昔の遊郭建物をそのまま使った料亭です。
中を覗く勇気はとてもなかったので、人様の文章を引用しておきます。
『鯛よし百番には、二階の軒下にいくつもの赤い提灯が下がっている。朱塗りの欄干は艶めかしく、一階の木格子は豪壮だ。唐破風の玄関を入ると、右手に、中庭と赤い毛氈を敷きつめた太鼓橋が見える。その先には絢爛な広間、二階には波や櫓をデザインした「潮来の間」や土蔵造り風の「お染めの間」など物語のある部屋が、中庭をはさんでロの字の廊下沿いに並んでいる。全館あげてキッチュ。異様だ。』(井上理津子著「さいごの色街 飛田」から)

こんな風情のある建物は吉原にも残っていませんね。
ここで散策は行き止まりです。
 

さいごの色街 飛田 (新潮文庫)

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