2016-07-17 [只今出張中]
秋田に行っていました。
少し早目に到着したので、市内を散策しながら会社へ向かっています。
少し早目に到着したので、市内を散策しながら会社へ向かっています。
町では8月の竿灯に備え準備が始まっています。
街のいたる所にポスターが貼られ、通りでは見物の桟敷席が組み立て中でした。
秋田竿灯は江戸時代中期には現在のような形になったと言います。
竿灯の提灯には町紋が描かれ、町ごとに技を競います。
その祭の盛大さから秋田の町人の力を推し量ることもできると思いました。
川の西側を外町(とまち)といい、町人町となっていました。
外町は日本海航路の拠点である土崎の港と連絡をしています。
おそらく旭川は、町と土崎港との商品の流通経路として使われたのだろうと思います。
そんな時代の商家の建物が残されていました。
写真の金子家住宅です。
かつてブル―ノ・タウトが訪れ、屋根の上の天水甕に興味を示したといいます。
かつてブル―ノ・タウトが訪れ、屋根の上の天水甕に興味を示したといいます。
建物のどっしりとした構えから、秋田の商人の経済力が推測されます。
夜、川反(かわばた)通りのお店に案内していただき、郷土料理を堪能しました。
手前にはじゅんさい、はたはたの焼き物、その左はいぶりがっこです。
あっ、仕事は予定通り、きちんとこなしての行動です。
念のため付け加えておきます。
川反(かわばた)は、旭川沿いに連なる歓楽街です。
かつては花街でした。
谷崎潤一郎の筆を借りて、当時の様子を紹介します。
『彼は知らず識らず浮かれ出して、公園(秋田城跡の千秋公園です)から河端の方へぶらぶらと歩みを進んだ。夜は女の寝くたれ髪の如くに、ふっくらと、黒く街にたゆたい、目に見えぬ幾百千の香炉から立ち上る煙のようなものが、しっとり家々の軒を焚きしめて居た・・・・何時の間にか直彦は、芸者屋や料理屋の軒並に続いて居る通りへ出た。花やかな両側の燈火は、龕燈(がんどう)の光のように帯をなして狭い往来に交叉し、格子の影が鮮かに地面へ映って居た。窓の障子の擦硝子には、なまめかしい潰し島田や、銀杏返しの姿が漂って、若い女の懐から発散するお白粉の匂いは戸外へも洩れてきた。方々の二階座敷で弾いて居る陽気な三味線の音は、直彦の頭上へ雨のように振りかかった。』
谷崎の短編小説「瓢風(ひょうふう)」の一節です。
谷崎の短編小説「瓢風(ひょうふう)」の一節です。
いまは、普通の歓楽街で谷崎の書いたような風情はありません。
いや、一軒のみ昔を偲ばせる造りの料亭を見かけました。
空港で見かけたポスターです。
谷崎の文章を思い出させるようなまなざしの女性だと思います。
『煙草を売る店先の娘や、宿屋の帳場に坐っている内儀や、こう云う素人の女までが、凡て美人国の名に負けぬあでやかさとなつかしさを以て眼に映った。行き交う人々の顔には、孰れも恋の奴のような、恍惚と物に憧るる表情が浮かんで見えた。』
「瓢風(ひょうふう)」はこの本に所収されています。明治44年の三田文学に発表された短編小説です。
ですから、ここに記された秋田の風情を求めるのは無理だったかもしれません。
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