ほおずき市 [東京散策]
『昔はせんなりほずきが主流だったのですが、今は実が赤くなって見栄えがする丹波ほおずきがほとんどですから』
ほおずきにも色々種類があるのだ、と知ったのは室田澄子「東京ぶらり旅」という本のこの一文です。
なるほど、今はどうなのと、浅草のほおずき市に出掛けてみました。
なるほど、今はどうなのと、浅草のほおずき市に出掛けてみました。
これは丹波ほおずきです。
実が大きくて見栄えは良いですね。
せんなりほおずきは熟しても緑色のままなだそうです。
せんなりほおずきは熟しても緑色のままなだそうです。
浅草育ちの女優の沢村貞子もエッセイにほおずき市を書いていました。
大正から昭和の初年にかけての頃のほおずき市のことだと思いますが、
『・・・なぎなたの刃のような形をしたなぎなたほおずきと、・・・』( 私の浅草)などと書いています。
なぎなたほおずきとは何?
調べたら、「アカニシガイの卵のう」だそうです。
辞書には「形はなぎなたに似て、中身を取り去った袋を鳴らして遊ぶ。→海ほおずき」と載っていました。
昔はほおずき市でそんなものも売っていたのですね。
辞書には「形はなぎなたに似て、中身を取り去った袋を鳴らして遊ぶ。→海ほおずき」と載っていました。
昔はほおずき市でそんなものも売っていたのですね。
今は、どうやら丹波ほおずき一辺倒のようです。
と思って、歩き回っていたら海ほおずきを売っている店を見つけました。
積み上げた赤い実の前の小さな丼の中です。
その前に海ほおずきの文字が見えます。
今は、あまり見かけないですが、遊女が吹き鳴らして遊ぶさまを描いた江戸時代の絵を見た記憶があります。
ほおずき市は浅草寺の四万六千日に合せて開かれています。
7月9日、10日が四万六千日の功徳日とされています。
この日お参りすると四万六千日お参りしたと同じ功徳(ご利益)があるというのです。
当初は1000日詣でと呼ばれていましたが、エスカレーションを重ね、とうとう四万六千日となったところに、
当初は1000日詣でと呼ばれていましたが、エスカレーションを重ね、とうとう四万六千日となったところに、
人間の欲を感じますね。
もちろん、お参りをしてきました。
祈祷料を納め、本堂内陣に上がり込んで、神妙にお参りしました。
ほおずきは「鬼灯」とも書きます。
お盆には、ほおずきの果実を精霊を導く提燈に見立て、枝付きで精霊棚に飾という風習がありますから、
ほおずき市は夏の風物詩と言えますね。
あいにくの雨でしたが、季節感を堪能しました。
沢村貞子の『私の浅草』では、「ほおずき市」というタイトルのエッセイもありますが、「猫年の女房」という一文が好きです。
『そのおすがさんが嬉しそうに大工の仁吉さんとぴったり寄り添って、ほおずき市を歩いていたという父の夕食どきの話に、母はめずらしく向き直った』
ほおずき市と浅草に住まう人々の関係が思い浮かぶような、話の展開で面白く読めます。
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