島原 城下町散策 [只今出張中]
連休明けから熊本に行っていました。
その間の休日、島原の城下町散策に出かけました。
熊本から島原に向かうフェリーのデッキからの眺めです。
前方には雲仙の山々が見えます。
一段と高く見えるのは平成新山でしょうか。
島原城は、堂々たる城郭です。
大阪夏の陣後に入封した松倉重政の築城ですが、四万三千石のお城にしては立派過ぎです。
『資格としては最小の城持ち大名でありながら、郭内は広く、櫓の数が三十三もある。・・・・本丸の最高石塁の上に五層の天守閣がのっかっている。五層とは分不相応の大きさであり、・・・』と、司馬遼太郎はこの城について記述しています。
四万八千石相当のこじんまりとした我が故郷のお城と比較すると、司馬のこの書きぶりも頷けます。
『かれはこの城をつくるために、まず有馬氏の旧城である原城の石垣をはずし、それを運ばせた。動員された人夫は延べ百万人といわれ、完成まで七年余りの歳月を要した。この費用をひねりだすめに、農民を搾りころすほどの勢いで搾った。』
「搾りころす」という司馬の表現は凄いですが、この圧政が島原の乱の要因となったとされています。
お城のそばにある姫松屋は島原名物、具雑煮を提供しているお店です。
具雑煮は、その島原の乱に縁のある食べ物のようです。
「天草四郎は三万七千の信徒達と籠城の際、農民達にもちを兵糧として蓄えさせ、山や海からいろいろなな材料を集めて雑煮を炊き栄養をとりながら約三か月も戦ったと言われています。」
割り箸の袋に具雑煮の由来が書かれていました。
武家屋敷の町並が残されています。
道路の中央部の溝には澄んだ水が、勢いよくながれていました。
道路の中央部の溝には澄んだ水が、勢いよくながれていました。
水が豊富な町であることが分かります。
屋敷毎に石垣が積まれた光景は鹿児島で見た外城の景観に似ています。⇒南薩の小京都知覧
中には一般に解放されている屋敷もあります。
陽射しが強く暑い日でしたが、日本家屋の風通しが良い造りが、よく実感できました。
透明な水に泳ぐ鯉が、目を和ませてくれます。
昭和の風情を残す店構えでした。
この店も具雑煮で有名なようです。
店内にはポスターが貼られていました。
お店に闖入した以上は、何か注文をせざるを得ません。
具雑煮は先程食べてしまったので、皿うどんを注文しました。
皿うどん太麺です。
長崎の人は皿うどんにはソースかけて食べるそうです。
地元に敬意を表し、ウスターソースを掛け回して食べました。
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