SSブログ

安兵衛が駆ける(谷中・早稲田) [東京散策]

朝倉彫塑館鴎外記念館 016.jpg
連休の一日、日暮里駅で下車し、谷中を歩いています。
今や、谷中銀座は観光スポットに成り果てて、群衆は夕焼けだんだん方面へ向かっていました。
その道筋を左折、朝倉彫塑館を目指します。

明治から昭和にかけて、彫刻界をリードした朝倉文夫のアトリエ兼住居をそのまま使った記念館です。
その、記念館前まで来ました。
おぉ、何とシュールな眺めでしょう。 
朝倉彫塑館鴎外記念館 019.jpg
館内撮影禁止ですが、屋根の上に掲げられた作品が、陽の光を浴びて眩い限りです。
この女性像は旧アトリエの屋根の上に乗っていました。
 
朝倉文夫の代表作に「墓守」 という像があります。
どこの墓守?と思っていましたが、ここを訪れて氷塊です。
裏手が天王寺の墓地となっていました。
この寺の墓守がモデルだそうです。

天王寺には、かつて五重塔があって、幸田露伴がこれをモデルに「五重塔」 を書いています。
幸田露伴の住居もこの辺りであったと思います。
朝倉彫塑館鴎外記念館 023.jpg 
谷中銀座も良いかもしれませんが、天王寺周辺あたりの寺町を散策するのも、なかなか風情があって良いものです。
ところで、皆さんが良く知っている朝倉文夫の彫刻がありますね。
その作品を見に行きたいと思います。
・・・では、ご案内します。
巣鴨 032.jpg 
大隈重信像です。
朝倉文夫自信、大隈とは面識があり、三体の大隈象を作成していますが、一番知られているのがこの像でしょう。
という訳で、早稲田まで来ています。
巣鴨 039.jpg 
キャンパスから正門を出て、右手に向かいますと馬場下の交差点に到ります。
夏目坂を下り切った所、一帯が江戸期から「馬場下」と呼ばれていました。
ここに、酒屋「小倉屋」があります。
高田馬場の決闘で、現場に駆け付ける途中、堀部安兵衛が立ち寄ったと言われる酒屋です。
店内には五合枡の写真が掲げられてしました。
「元禄7年、中山安兵衛高田馬場の決闘の際、当店で飲用の酒枡」とのキャプションがありました。
巣鴨 043.jpg 
やっとブログタイトルに行き着きましたね。
「安兵衛が駆ける」です。
この店で売っている清酒「堀部安兵衛」のラベルでも、安兵衛さん走っています。
巣鴨 045.jpg 
それで、安兵衛さんはどこから走り出したのでしょうか。
決闘の当時は今の新宿納戸町に住んでいたそうです。
納戸町は今もありますが、幕末期の切絵図を見ると「御納戸町」との表記があります。
今の防衛省の裏あたりですね。
おそらくここから、牛込柳町を経由して、夏目坂を下って小倉屋に行き着いたのでしょう。
この間、約2キロ弱の距離です。
さぞかし咽喉が乾いたでしょう。 
小倉屋あたりは切絵図では馬場下と表記があり、今も馬場下町が住所表示となっています。
ここから馬場までは1キロ弱、現在の早稲田通りを見ても分かりますが、ひたすら上り坂です。
五合酒を飲んで、大丈夫かと心配となります。 
お店のおかみさんは「当時のお酒は今ほどアルコール度数は高くなかったようですよ。」と仰いましたが・・・。
 
さて、小倉屋は夏目漱石の「硝子戸の中」で紹介されていますが、
池波正太郎の「堀部安兵衛」の高田馬場の決闘では、枡酒を飲み干す描写は、なかったように記憶しています。
安兵衛、大酒飲み、はたまた下戸と諸説分かれるようです。
私は大酒飲み説を支持したいと思います。
 
 
堀部安兵衛〈上〉 (新潮文庫)

堀部安兵衛〈上〉 (新潮文庫)

  • 作者: 池波 正太郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1999/11/30
  • メディア: 文庫

「硝子戸の中」⇒夏目坂の宴
 

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。