安兵衛が駆ける(谷中・早稲田) [東京散策]
連休の一日、日暮里駅で下車し、谷中を歩いています。
今や、谷中銀座は観光スポットに成り果てて、群衆は夕焼けだんだん方面へ向かっていました。
その道筋を左折、朝倉彫塑館を目指します。
明治から昭和にかけて、彫刻界をリードした朝倉文夫のアトリエ兼住居をそのまま使った記念館です。
その、記念館前まで来ました。
おぉ、何とシュールな眺めでしょう。
館内撮影禁止ですが、屋根の上に掲げられた作品が、陽の光を浴びて眩い限りです。
この女性像は旧アトリエの屋根の上に乗っていました。
朝倉文夫の代表作に「墓守」 という像があります。
どこの墓守?と思っていましたが、ここを訪れて氷塊です。
裏手が天王寺の墓地となっていました。
この寺の墓守がモデルだそうです。
この寺の墓守がモデルだそうです。
天王寺には、かつて五重塔があって、幸田露伴がこれをモデルに「五重塔」 を書いています。
幸田露伴の住居もこの辺りであったと思います。
谷中銀座も良いかもしれませんが、天王寺周辺あたりの寺町を散策するのも、なかなか風情があって良いものです。
ところで、皆さんが良く知っている朝倉文夫の彫刻がありますね。
その作品を見に行きたいと思います。
・・・では、ご案内します。
大隈重信像です。
朝倉文夫自信、大隈とは面識があり、三体の大隈象を作成していますが、一番知られているのがこの像でしょう。
という訳で、早稲田まで来ています。
キャンパスから正門を出て、右手に向かいますと馬場下の交差点に到ります。
夏目坂を下り切った所、一帯が江戸期から「馬場下」と呼ばれていました。
ここに、酒屋「小倉屋」があります。
高田馬場の決闘で、現場に駆け付ける途中、堀部安兵衛が立ち寄ったと言われる酒屋です。
店内には五合枡の写真が掲げられてしました。
店内には五合枡の写真が掲げられてしました。
「元禄7年、中山安兵衛高田馬場の決闘の際、当店で飲用の酒枡」とのキャプションがありました。
やっとブログタイトルに行き着きましたね。
「安兵衛が駆ける」です。
この店で売っている清酒「堀部安兵衛」のラベルでも、安兵衛さん走っています。
それで、安兵衛さんはどこから走り出したのでしょうか。
決闘の当時は今の新宿納戸町に住んでいたそうです。
納戸町は今もありますが、幕末期の切絵図を見ると「御納戸町」との表記があります。
今の防衛省の裏あたりですね。
おそらくここから、牛込柳町を経由して、夏目坂を下って小倉屋に行き着いたのでしょう。
この間、約2キロ弱の距離です。
さぞかし咽喉が乾いたでしょう。
小倉屋あたりは切絵図では馬場下と表記があり、今も馬場下町が住所表示となっています。
ここから馬場までは1キロ弱、現在の早稲田通りを見ても分かりますが、ひたすら上り坂です。
五合酒を飲んで、大丈夫かと心配となります。
お店のおかみさんは「当時のお酒は今ほどアルコール度数は高くなかったようですよ。」と仰いましたが・・・。
お店のおかみさんは「当時のお酒は今ほどアルコール度数は高くなかったようですよ。」と仰いましたが・・・。
さて、小倉屋は夏目漱石の「硝子戸の中」で紹介されていますが、
池波正太郎の「堀部安兵衛」の高田馬場の決闘では、枡酒を飲み干す描写は、なかったように記憶しています。
安兵衛、大酒飲み、はたまた下戸と諸説分かれるようです。
安兵衛、大酒飲み、はたまた下戸と諸説分かれるようです。
私は大酒飲み説を支持したいと思います。
「硝子戸の中」⇒夏目坂の宴
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