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唐津ミッション・ツアー [東京以外散策]

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急に福岡出張の話があって、行ってきました。
仕事の前日福岡入りして、唐津まで足を伸ばしています。
地下鉄がJR筑肥線に乗り入れしています。
各駅に止まりながら走る列車は、やがて海沿いを進みます。
幸い乗客もまばらな車両の中です。 
窓に顔をくっつけて九州の海を堪能しました。

唐津城まで来ました。
豊臣秀吉の家臣、尾張人寺沢広高が築城しています。
慶長7年(1602)年から7年の歳月をかけて完成したお城といいます。
当時、廃城となっていた名護屋城の用材を用いて造られたそうです。
名護屋城は秀吉の朝鮮出兵の拠点でした。
関ヶ原合戦後とはいえ、家康への将軍宣下はこの翌年、大阪の秀頼はまだ健在の時期です。
寺沢さんは、誰にことわって名護屋城の用材の使用をしたのでしょうか。
その事だけが、気になっています。 
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天守閣から望む虹の松原です。
唐津城主寺沢広高が植えた防風林は、その長さが二里あるところから二里の松原と呼ばれました。
江戸の中期頃から「虹の松原」と呼ばれるようになります。
そのことについて、司馬遼太郎は次のように書いてします。
『唐津藩は、藩主の交替が頻繁なために武家文化が成熟しにくく、さらには地元が豊かなために、町人や富農層が唐津文化を熟させて行くという面がつよかった。こういうしゃれた言い方は、漢語でこりかたまった藩士層からは、出にくいように思える。』(街道をゆく「肥前の諸街道」) 

たしかに弧を描く姿は、虹の松原の名がふさわしいと思います。
その姿を実感するには、唐津の天守台に登ってみるのが最適です。
唐津 058.jpg
松原をそぞろ歩きしました。
唐津の名に古代からロマンを感じます。
大陸を意味する唐の字に、港=津を組み合わせた名前はこの土地の機能をよく示していると思います。
日本の地名の中でもお気に入りの部類に入ります。
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唐津くんちの曳山展示場を覗いてみました。
まつりの盛大さを想像しています。
もっとも祭りの様子を映した映像が流され、その賑わいを想像するまでもないのですが。
唐津 075.jpg
弘化2年製作の鯛の曳山が気に入りました。
ひょうきんな顔つきが楽しいではありませんか。
いろいろ寄り道していますが、
この後、ミッションに取り掛かります。
唐津 0951.jpg 
今回の旅のミッションは唐津焼です。
これも唐津文化のひとつです。
歴史は秀吉の朝鮮の役以前まで遡るとも言われています。 
酒好きの友人への贈り物を探しています。
そして見つけたのはこれです。
 
朝鮮唐津のぐい呑みです。
姿といい、黒釉と藁灰釉が織り成す景色といい、良いと思いませんか。
 
藤ノ木土平の作品です。 
『ここに窯を築いて十五年ですが、このあたりはいろいろな粘土に恵まれた土地でして、赤い土、白い土、ねばい土など、そうそう人間と一緒で、いろんな性格の土があるんです。まだそれぞれの土の魅力を出しきらんで、四苦八苦というところですか。常にどぎゃんして作ってやろうかと、がんばっていますが。』
松山猛の「大日本道楽紀行」に紹介されている土平さんの言葉です。
誠実な人柄を感じさせます。
藤ノ木土平は、新潟人で美濃での修行をしたこともありますが、今は唐津で作陶を続けています。
新潟県人らしい暖かさを感じさせる作風が気に入っています。
唐津 012.jpg 
ミッション完了、唐津を後に福岡まで戻ります。
きっと友人もよろこんでくれるでしょう。
・・・ちょっと、予算オーバーしましたが。
 

街道をゆく 11 肥前の諸街道 (朝日文庫)

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  • 発売日: 2008/10/07
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大日本道楽紀行―この国の歩き方

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